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ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q - あなたは社会の一員なのだから

2012.12.14 Movie

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q - あなたは社会の一員なのだから。

テーマは「会社」から「社会」へ

これまで僕は、序を「シンジ君が会社で自分が働くことができる場所を見つける話」、破を「シンジ君は仕事の中で自分のやりたいことを成し遂げられるようになる話」と書きました。突然ネルフという地球を守る「会社」で働くことになった14歳の少年は戸惑いながらも自分の居場所をなんとか見つけることができた。そして次に自分が得たその居場所を投げ打ってでも、そして仕事の機会を利用してでも自分の目的(シンジ君の場合は同僚を助けること)を実現することを覚えた。「人のために仕事をし、自分の成し遂げたいことのために生きる」これこそが、序・破の中でシンジ君と僕たちが見つけ出した仕事に対する姿勢、答え、だった。

ところが誰もが気がつくことですが当然この答えには問題はある。自分の成し遂げたいことのためなら何をやってもいいのか。それは許されるのか。個人と個人、個人と組織が向き合うお話が序・破であったのに対し、個人と社会が向き合うことをとはどういうことなのか。これがエヴァンゲリオン新劇場版:Qのテーマである。

エヴァにおいてこれまで社会(ネルフに対する社会的反応)が描かれることはほとんどなかった。ないことはないが極めて少ない(序のトウジの顔面一発とコンビニの客の会話くらい)。ここまではシンジ君とネルフという会社、そしてその内側での業績のみが語られてきたわけです。当然ちゃんとやっていれば会社から文句は言われないし、納得がいかないことがあればその要求を突っぱねることもできるし、辞めることもできる。しかし社会からの評価・批判はどうだろう。

ATフィールドの時代の終わり

シンジ君はやってしまった。世界を救う、レイを助けるという名目はあっても、世界を崩壊させる大惨事を引き起こしてしまった。結果シンジ君は社会全体と向き合わざるを得なくなってしまった。世界中からの批判、批難、叱責、勢いに任せた罵声…社会からの攻撃は途轍もない数になる。ネットから、電話から、テレビから、Twitterから、井戸端会議から、あらゆるところから飛んでくる槍に対して、内に籠るだけではもう自分を守りきることはできない。

Qでは「ATフィールドが無効化される表現」が頻発する。十字棺桶の護衛機はアンチATフィールドで2号機のATフィールドを切り裂き、直後に登場する人口使徒はATフィールドでは守れない攻撃をしかけてくる。極め付けは13号機で、ATフィールドが"そもそもない"!なぜこのような表現が頻発したのだろうか。今作にも登場する渚カヲルは過去作で「ATフィールドは誰もが持っている心の壁である」と言っている。自分を守る心の壁があるからこそ人間らしさを確立できるのだと。しかし他者を拒絶する心の壁で守れるのは、結局顔を見知った個人と個人の衝突だけであり、不特定多数からの攻撃はとてもじゃないが守りきれない(映画サマーウォーズのキングカズマが有象無象のアバターに一斉攻撃されるシーンを思い出すところだ)。ATフィールドの時代は終わった。これらの表現はもう社会と個人の衝突に心の壁はなんの役にも立たないということを表している。殻に閉じこもることが得意なシンジ君でも防げない痛みに耐えきれず、壊れてしまう。S-DAT(ウォークマン)のように。

14年の間に世界は変わった

しかし、世界を半ば滅ぼしてしまったシンジ君ならまだしも、個人と社会がぶつかり合うことなどあり得るのか。これは一市民にとって普遍的なテーマと言えるのだろうか。

14年前、旧作に当たるエヴァンゲリオンを作った人たちがいた。彼らは自分の考えうる、最高のものを作って世に送り出した。彼らの作った社会現象になった。まさか彼らも自分たちが作ったものが14年後も未来まで日本全国のTSUTAYAに並び続けるなんて考えもしなかっただろう。社会からの反応は、賞賛の声、罵倒の声、それが綯い交ぜになったもの。自分が信じて行ったことと、その結果。今作のシンジ君と全く同じことを彼らは体験してきた。

ではやはり社会的にインパクトを与えるような作品を世界に向けて発信した人でないと「個人と社会がぶつかり合うこと」は起こらないのだろうか?当然そんなことはない。それが14年の歳月が我々の世界にもたらした変化、高度に発達したインターネットだ。我々は、社会と相互に繋がってしまった。いうなれば補完されてしまった。わざわざ"エヴァンゲリオン"など作らずとも、個人と社会は容易に衝突しうる。

卑近な例えではあるが、例えば私がとある正義心から「原発反対!あんなもの一個ずつ爆破してしちゃおうよ!」などとなどとTwitterでつぶやいた瞬間、僕は世界からの制裁を受けることになる。様々な立場、心情の人からの制裁。真面目に怒る人もいればからかうように囃し立てる人、この発言を上手いこと使って自分を意思をすり替えて伝えようとする人、小馬鹿にして自分の心の安定を得ようとする人…その意図が正当であろうとなかろうと。数千、数万の見えない槍に刺されることになった時、あなたはどうするのか。これがQが我々に突きつける問題である。

キャパシティの小さな大人たち

よくQを見てまた卑屈で閉じこもりがちなシンジ君に戻ってしまった、今までの話は何だったのか、という人がいるが、とにかく行動しなければ、という意思は破の際に培われたものだ。だからこそQのシンジ君は辛い。自分の行いのために他者の利益、幸せを踏みにじることがあるということを想像できなかったがゆえ、手のひら返しのような社会の反撃を受けることとなった。酷だ、酷過ぎる。自分を貫けと言われてやって、みんなが喜ぶと思ってやって、その結果がこれですか、少しは話を聞いてくれたっていいじゃないですか、と。

ヴィレの乗組員を通して描かれるのは人間のキャパシティの小ささだ。懇切丁寧に、教えてくれればいいものを、ひとっ飛びに結論を出し、強要する。しかし一見滑稽にも見える彼らの言動を批難できるほど我々には余裕があるだろうか?気がついていないだけで実は彼らと同じようなことを我々も日々行ってしまっているんじゃないか?ヴィレの乗組員は僕らの写し鏡なのである。人の心には、身体には、時間には、限りがある。ネルフに追い回されている心休まることのないヴィレの状況は、情報に追われ踊らされ続ける僕らと同じだ。我々は時流に逆らう他者を自然と排斥する。その向こうに一人の人間がいることをを想像もせず。いやわざと考えないようにしているのかもしれない。そこに一人の人間がいると思わないからこそ、引き金が引ける。まるで無人機を操縦して地球の裏側からミサイルを撃つアメリカ軍のようだ。

「見ない」象徴するのがミサトさんのサングラス(ゴーグルと言った方がいいか)だ。あれはシンジ君を、一人の人間として見ないための目隠しなのだ。ミサトさんは当然シンジ君を一人の人間として見ている、見てしまっているから彼を殺すスイッチを押すことができない。ミサトさんは何も変わっていない、変わってしまったのは人一人が持つ余裕なのである。

優しい人は誰の前にも現れる - カヲル君の場合

そんな彼の前に一つの希望が現れる。渚カヲル。彼は「どんな時にも、自分を投げ打っても味方になってくれる存在」。先ほどのTwitterの例で言えばどんなにラジカルな発言をしても支持に回る人が必ず現れるものだ。「無償の優しさ」はこの世の中に確かに存在する。親、兄弟と言った家族、恋人、友人、そして全く見知らぬ人からも。社会は広い、その広さゆえにそういった存在は必ず現れる。まさに「どんな時にも希望はある」。

そういった優しい人たちの代表としてカヲル君は描かれる。家族のようで、恋人のようで、友達のようで、見知らぬ人のようにも感じられる存在。他者からの情は社会からの攻撃で傷ついた心を癒してくれる。心だって生き物だ。身も心もを守らなければ人間は疲弊してしまう。

ただ一つ問題があるとすれば、そういった優しい存在が、直視すべき世界を見えないようにしてしまうことだ。どんな情報も引き出せ現代は何かと自分の都合のいい情報ばかりを集めて自分の主張を補強してしまいがちだ。そしてシンジ君とカヲル君は無自覚のうちに「自分たちだけの世界」を強化し、世界を別の視点から見ることを忘れてしまった。S-DATは"胎児が聞く母親の心音"、守りの壁の象徴である。そのS-DATをカヲル君は"直してしまった"。そうして2人の世界に閉じこもってしまった結果問題をさらに深刻化させることになる。そして最大の悲劇を招いてしまう。

カヲル君の死の意味とは何だろうか。シンジ君が社会からの爪弾きにされるのと同じように、自分を信じてくれた、自分を愛してくれた人もまた当然社会の熾烈な攻撃を受ける。そして自分の盾になって死んでいく。最も辛いのはカヲル君がシンジ君のことを恨みもしないことだ。そこに愛の強さと残酷さがある。大切な人の力になりたいという、カヲル君の純粋な想いは間違っていなかった。ただ、目を見開き世界を直視していればこんなことにはならなかったのだ(彼らが外の景色を見たのは、シンジ君が真実を知った時、そして全てが終わってしまったあとだけだ)。カヲル君はシンジ君を守ることはできたかもしれないが、最後までシンジ君を救うことはできなかった。

あなたを叱ってくれる人はいますか - アスカの場合

そしてもう一人のシンジ君にとっての優しい人、それはアスカだ。シンジ君にとって見ればアスカもヴィレの一員であり「社会からの攻撃者の一人」である。しかし彼女は他の攻撃者とは違う。アスカはシンジ君のことを「バカではなくガキだ」と言う。過ちを叱責しながらもシンジ君を一人の人間として導こうとする。キャパシティのない人たちはわざわざそんなことはしない。人を導こうとする人のどれだけ貴重なことか。悲しいことにシンジ君は気がついていないが、アスカはシンジ君にとって本当にかけがえのない存在なのである。Qでのアスカの行動はすべて愛情が感じられるし、すべてがヒロイックだ(改めて人気が出るのもわかるね!)。

だからQの物語はカヲル君とアスカの旧作以来の因縁の対決の物語でもある。カヲル君にとってはわざわざ弐号機を壊したのにシンジ君と一緒に生き続けたアスカは「恋敵」。アスカもカヲル君もシンジ君を助けたいという愛情の気持ちは一緒だし、どちらも疑いのないものだ。しかし二人のアプローチは違った。結果から言えばカヲル君のアプローチはシンジ君に世界を向かせるための犠牲であり、アスカのアプローチはまだ道半ばである。が、少なくともアスカの導きは間違いではないように感じるのだ。

"盲目の"ゲンドウ

しかしシンジ君があれだけ打ちのめされているのに同じ立場(サードインパクトの犯人)である父・ゲンドウは全く動じていないように見える。

ポイントは眼鏡だ。ゲンドウの眼鏡は今回、サングラスではなく謎のバイザーに変わっている。これは私の想像だが、彼の眼はおそらく、既に光を失っているのではないか。"破"の最後に初号機の血を浴びたことが要因なのかもしれないしそうではないのかもしれないが、何にせよ彼は「世界を見ることを完全に止めた」のだ。文字通り盲目的で過激な活動家となったのである。アスカに言わせればやはり「ガキ」である。何も人の話を聞かない人間ほど怖いものはない。

Qでは冬月からシンジ君に対してゲンドウの秘密が明かされる。一つの願いを現実のものとするために、最愛の妻も、あらゆる犠牲を払ってきたゲンドウ。結局シンジ君の行動はゲンドウの姿と重なる。このままシンジ君は目を塞ぎ、耳を塞ぎ、自分の理想の中だけに生きる、ゲンドウと同じ道を歩むのだろうか?結末は次回のシン・劇場版までわからないが、今のシンジ君は"一人ではない"し、"大人ではない"。もしかするとゲンドウが歩んだ道を"やり直すこともできる"かもしれない。

社会はお互いの衝突で成り立っている

こうして社会という巨大ネットワークに住む人々をQの登場人物に当てはめていった。それぞれのメッセージをまとめると

・我々はヴィレの乗組員たちのような小さなキャパシティで生きていないか?
・シンジ君、果てやゲンドウのようにのように外の世界の現実をを見ることを拒絶していないか?
・カヲル君のように人を守ることと自分の世界を強化することを一緒くたにしていないか?
・アスカのように本当に人を尊重し、導くことはできるか?

社会の一員である「あなた」に問いかけるこの痛烈なメッセージこそQの張り詰めた息苦しさの正体である。喉元にナイフを突きつけられるような、受け止めきれない難しい問題。少なくとも僕はこれらを満たしている自信はない。しかしこれが今の時代に必要とされることである。確かに個人と個人の衝突よりもはるかに解決が難しく、全身を貫かれるような痛みに襲われることもある。が、衝突を恐れては世界の時間が止まってしまう。我々は衝突を繰り返しながら、社会の一員としての正しさを考えながら、社会を正しい方向に導かなければならない。

おそらくプロットは311以降対応大幅に書き換わったのだろう。実制作時間の時間の少なさ、大衆娯楽的アクション映画「新劇場版」としては絵として気持ち良さにかける部分も多く見受けられる。が、作品が描いたテーマに関して表現の過不足はない。

Qで最後に彼らが提示したのは14年前の"過ち"(僕が勝手にそう思っているだけですが)、旧劇場版をやり直すことでした。まだシンジ君は自分の足で立っている。僕は最後まで見守ろうと思います。

トリロジーが完成するとき、ゴッサムシティはアウターヘブンへ変貌する - 「ダークナイト ライジング」

2012.08.04 Movie

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ダークナイト ライジングの軸は二つある。「都市とは虚構であるということ」と「ブルース・ウェインの自立」。この二つが重層的に絡み合いながら新バットマントリロジーは完結する。

小島秀夫監督制作のゲーム「メタルギア」シリーズの中でMETAL GEAR SOLID 2(以下MGS2)は世間的な理合をあまり得られなかったタイトルである。が、そこで扱われたテーマというものはとても良くできた素晴らしいものであったことを伊藤計劃氏の解説で知ったのはいつのことだったか。そして後に氏のブログに影響されて観に行ったダークナイトの衝撃。僕に映画の面白さをブログを通して教えてくれたのも氏でした。

MGS2の舞台がニューヨークに設定された理由を伊藤計劃氏は確か「都市は虚構であり、その最たるものがニューヨークだからだ」と分析していた。都市とは、自然という想像不能なカオスなものから自らの身を守るために作った要塞である、自然の対局に存在する虚構の集合体。人の都合が人を支配する偽りの世界。どうせ虚構を表現するならニューヨークよりもぴったりな場所がある。ゴッサムシティだ。

偽りの英雄を祭りたて、犯罪を撲滅する一方、金持ちは幅を利かせ、貧しきものは富めるものに小さな希望をちらつかせられながら搾取されるキャピタリズムの中心地、ゴッサムシティ。ここは自由の国アメリカじゃないのか?300年前の独立の高潔な精神はどこへ消えたんだ?ベインの疑問は一つの計画となって結実する。

アメリカに対して同じ疑問を持った者達がいる。MGS2に登場するソリダス・スネーク、そして彼が擁する「サンズ・オブ・リバティ」と名乗るテロリストはニューヨーク上空で純粋水爆を爆発させて電子通信能力を破壊し、ニューヨークを陸の孤島に化させ、そこに独立国家「アウターヘブン」を設立しようとする。解き放たれた真の自由の国。残念ながら彼らの願いは体制側の圧倒的な力で破壊されてしまった。

しかし今回の悪役ベインが行った蜂起は、小島監督が描けなかった、もといソリダスが叶えられなかった真の自由への夢をあっさりと実現してしまった。アメリカ国歌が少年によって歌われる中。ゲームの中の映像ではなく映画の中で。

あくまで私の考えすぎな仮説ではあるが、この映画の目的の一つとしてMGS2のサイドBを作ることにあったのではないか。ストーリー的にも描写的にもMGS2を思わせるシーンが多く出てくる(決戦の舞台がフェデラルホールに見えてきませんかね…?)。ダークナイトではMGS3のフルトン回収、インセプションの夢の第三階層は明らかにシャドーモセス島だった。もしかすると今作はノーラン監督の小島監督LOVEが文字通り「爆発」した作品だと僕は勝手に思っています、がもちろん僕の考え過ぎの可能性も多いにあるので鵜呑みにしないでね。

…と、ノーラン監督の小島監督への思いが本当にあるのはさておき、少なくとも「都市は虚構である」というテーマを描き出すことが目的なのは事実だろう。 そもそもが虚構の街ゴッサムシティの、虚構の正義が崩れ去り、新たな虚構の支配が生まれる。こんなとんでもない話を、誰もが受け止められるように描くのは至難の技だ。今思えばノーラン監督のインセプションは今作のプロトタイプだったのだろう。インセプションが描いた夢の世界は当然虚構だし、その虚構のイメージは必ず都市の姿を持って現れる。渡辺謙扮するサイトーが住んでいた、虚構の中に生まれた砂上の楼閣が描けたところで、彼が次に描こうとしたのは都市の虚構が暴かれ、価値が逆転し、孤立し、権力から独立した戦士達の真の自由国家「アウターヘブン」と化したゴッサムシティだ。そのためにベイン達は何をしたか。彼らはウェインタワーもツインビルも破壊しなかった。象徴的な建物を破壊する代わりに彼らはただ壁や床に穴を開けまくったんです。構造を破壊し、人為的に隔てられたものを等しくする。「上下」の位置を等しくする(ライジングは徹底的に上下で描き分けられている)。市民のための市民により自治された街。政府や誰かの道具として生きるのではない真の現実の世界がスクリーンの中に登場するのです。

この映画もう一つの軸は当然バットマンことブルースウェインの人間としての自立です。喜び勇んでバッマンに戻って行くブルースはまさにかろうじて引き分けに持っていったジョーカーとの勝負を無下にするものであり、彼が虚構の破壊の一端を担うことになってしまうのは当然の帰結とも言えるでしょう。彼が犯罪者の敵であるのか、ただの変態コスプレ男であるか、この差を決定するのはブルースの金持ち具合なのか?それは違うでしょう、というのが今回バットマンに与えられたミッションなのです。ゴッサムシティで一般市民と警官達を分ける差は正義に対する崇高な精神であったように。

これまでコミック、テレビ、映画の中でいく度もなく描かれたバットマン。ノーラン版バットマンのように陰鬱なものもあれば、子どもたちのヒーローとして描かれることも多々ありました。ノーラン版ブルース・ウェインが最後のシーンでゴッサムシティに残したのは、これまで描かれてきた子どもたちの正義のヒーロー・バットマンへのあいさつなのです。

忘れちゃならない見所。そりゃあアン・ハサウェイ演じるセリーナ・カイルでしょうな。キャットウーマンとあえて呼ばれないのは爪を立てたりにゃんにゃんしたりしないからでしょうね。とにかくセクシーかつカッコいい。メイド姿のアン・ハサウェイ、サイダースーツ姿のアン・ハサウェイ。今回も変態メカのオンパレードですが、バットポットを駆るセリーナ・カイルもとってもいい。前回垂直ターンをキメてくれたバットポットですが今回はまさかのドリフトをキメてくれます。

母にありがとう、父にさよなら、そして全ての子どもたちにおめでとう。「おおかみこどもの雨と雪」

2012.07.22 Movie

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映画の上映が終った時、僕はずっと泣いていました。しばらく涙が止まらなかったです。

ある大学に通う女子大生、花は偶然出会ったおおかみおとこと恋に落ちる。2人の "おおかみこども" 雪と雨を授かった幸せも長くは続かず、不慮の事故で父親は亡くなってしまう。都会を追われ逃げるように田舎で暮らすことになった1人の母親と2人のおおかみこどもの13年間の物語。

「おおかみこどもの雨と雪」は、細田監督の前2作品(時をかける少女、サマーウォーズ)とは明確にスタンスの違う映画です。前2作はあくまでエンターテイメント作品ですし、もちろんテーマは含まれているのですがやはりエンターテイメント作として成功した作品です。細田監督はどう作れば観客を盛り上げられるか、興奮させることができるか、とてもよくわかっている人です。しかし、そんな人が敢えてその能力を使わず作った作品がこの「おおかみこどもの雨と雪」です。

人はイベントしか記憶できないものです。そのイベントを通過することで人は生きてきた時間を区切っていく。七五三であったり学校の入学式であったり結婚式だったり…。だからCam with meはあんなに短い内容でも感動できる。でも本当の人生はイベントだけで作られているものではなく。日々の何気ない、記憶すらされないかもしれない出来事の積み重ねでできている。監督が描きたかったのはそんな日常なのでしょう。ほとんど盛り上がりどころを作らない構成は監督の意思の現れでしょう。

人でもあり、狼でもある雪と雨は様々な意味で「重ね合わされた」存在です。人にもなれる、狼にもなれること、これが子どもたちに秘められた可能性を表現しているものです。子どもは柔軟です。しかし世界で生きることは柔軟ではない。成長する、大人になるということは可能性という曖昧な原石を砕き磨き、一つの結晶を取り出す行為に他なりません。子どもたちが人として生きること、狼として生きることを考えることが、彼らが大人になることの通過儀礼です。そしてこの映画はそれを見守る母親の優しい目線で描かれているのです。子どもたちの成長を感じさせる場面で、設定の年齢よりも大人びた雰囲気で子どもたちの表情が描かれるのは、アニメだからできる表現でもあります。

雪の成長は自分の存在が許される場所を、自分の力で作ることです。社会の中で自分が受け入れるのを待つことではありません。自分が許されるのと同じように自分も他者を許すこと、そして自分を見失わないこと。娘は母親の写し鏡のようで、やはり別の、自分なりの生き方を社会の中で見つけるのです。

その一方で僕は雨の行動に自分を重ね合わせざるを得ませんでした。男の子は何か熱中できることを見つけてその世界に旅立っていく。台詞はあてがわれていませんでしたが、山の自然について熱中気味に母親に語る雨の姿。母に何も言わず旅立つ姿。そして、まだ子どもだからと雨を守ろうとする花の姿。危険な場所まで子どもを追って突き進んでしまう母親の逞しさ。母親から見ると自分もそういうことをしていたのかと身につまされるところです。自己弁護するつもりはないのですが、やはり男の子とはそういうものでしょうし、それを許し見守る母の優しさというのは偉大なのですね。

クライマックスはありますがしかしそれも日常の延長である、というのはこの映画が見つけた新しい地点なのでしょう。強い刺激がなければ映画は成り立たないのかと言えば、確かにそれは真であるかもしれない、それでもそれを認めたら表現の敗北でしょう。それでも涙があふれて止まらないのは、豊かに描かれる大自然の背景のように、強く優しい母の愛情をスクリーンを通して見せてくれたからに他ならないと思います。この映画を見て流れる涙に理由なんてないのです。

追記(2012/0723):
山場になるようなイベントが描かれていない、というような書き方をしましたが、実はちゃんと冠婚葬祭が擬似的に描かれてはいるんです。花が "彼" の亡がらと対面すると同時に "葬式" が行われているわけですし、彼に花を手向ける代わりのバーベキューなわけです。また雪の告白は即ち結婚(というかその前段階)を擬似的に表現をしているわけでその結果があのエピローグなわけですよね。描いているけど日常に紛れている、というのがこの映画のミソの部分だと思います。

Web Designing4月号にfivedotone.comが掲載されました&Amazon他WebショップにてTWENTY THREE TO FOUR好評発売中!!

2012.03.23 Movie

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現在発売中のWeb Designing4月号、Website Frontという最新のWebサイト事例を紹介するコーナーで、なんとFIVE DOT ONEウェブサイトが紹介されました!! しかもなぜかコーナートップ1ページまるまる使ってのご紹介という事で、いやはやなんといいますか恐縮でございます。同じコーナーではGoogleとかUndercoverとかauとか名だたるクライアントが軒を連ねる中でFIVE DOT ONEは個人(というかサークル)ですからね…よほど担当の方に気に入っていただけたのだろうなということで制作者の1人として本当にうれしく思います。

紙面をサイトに載せると怒られるのでぜひ皆様には本屋さんでWeb Designingを確認していただければと思います。掲載されている映像のスクリーンショットが全部私の映像になっていて「いやもっとかっこいい画像がたくさんあったじゃないですか…」と思ったりしたんですがたぶん気を使って私の映像を選んでいただいたんだろうと思います。重ね重ね恐縮な限りであります。

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そしてCD+DVDアルバム「TWENTY THREE TO FOUR」ですが遂に、Amazon、Diverse System、そしてTANO*C STOREにて取り扱いが開始されました!! ビックサイトにいけなかった方もぜひこの機会にお買い求めくださいませ。自分の関わった作品がAmazonに並ぶってうれしいです。

何度も何度も同じ事を繰り返し言うようで申し訳ないですがTWENTY THREE TO FOUR、映像のクオリティ半端ないです!! 先日改めてすべての作品をDVDで見直したんですがCMクオリティの映像はホントヤバいよなと。ここにakirafukuoka入ってよかったのかなとw 思い返す度に後悔の念が…。しかしカンガルーさんに作っていただいた楽曲が本当に素敵なのでそこを皆さんに堪能していただければそれで満足です!サイトからもサンプルが見れますが、ぜひ大画面で、できれば5.1chサラウンド環境で皆さんに楽しんでいただきたいと思います。

映画「ソーシャル・ネットワーク」は“ガンダム”である

2011.02.04 Movie

映画「ソーシャル・ネットワーク」の評判を聞いているとまさに賛否両論。面白かった!という人もいれば、ピンとこなかった…という人もいる。アメリカの、頭のいい大学の、"リア充"をやっかむオタクが、新興Webサービスを立ち上げ、訴訟を起こされる話、となれば純日本一般人の我々がピンとこないのも納得ではある。特に女性はピンとこない率が高いように感じる。劇中では女性がやや蔑視的に描かれていないことも一因であろう。一方で面白い!と思った人の共通点を探っていくと、僕の主観ではあるがテクノロジー系に強い男性で「ガンダム好き」が多いことに気がついた。そして僕は一つの結論にたどり着く。

映画「ソーシャル・ネットワーク」は "ガンダム" である

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ガンダムとは言わずもがな、でかいロボットが出てくるアニメのあれである。しかしガンダムを「ただロボットに乗って戦うアニメ」と思っている人がいたら大きな間違いだ。ガンダムは「ロボットに乗りながら言論大会しつつ戦うアニメ」なのだ。登場人物は多くの場合2軍に分かれて戦い、己の立場、利害、ポリシー、思想、生き方、それをぶつけ合う。言論バトルとロボットバトルが高度に融合したアニメ、それがガンダムである。一方のソーシャル・ネットワークの最大の見せ場は、法廷や職場で登場人物が繰り広げるマシンガントークだ。自らのプライドがぶつかり合う、激しい会話こそがこの映画の「戦闘シーン」。主人公と元カノの"口戦"シーンから始まるなんてガンダムに対するオマージュとしか思えないね!!(口がもがれなかっただけでもありがたく思え、マーク!!)

そもそも主人公のマーク・ザッカーバーグはガンダムの主人公アムロ・レイにそっくりではないか!まずもじゃもじゃの髪が。内気ではあるが頭もいい、天才(ニュータイプ)。性格はわがままで独善的、身なりも気にしない。孤高、というより孤独な存在。そして最大の共通点、それは「最強の武器の中にいる」ことだ。もちろんマークはFacebook、アムロはガンダム。最高の武器に最高のパイロット、当然それは最高の勝利を約束する。そして彼らはこう言うのだ。

"I made Facebook!"
"僕が一番ガンダムをうまく使えるんだ!"

しかしこの2者も異なる点がある。アムロは戦いの中で敵・味方、様々な人々と出会い、見違えるように大きく成長していく。そして物語の最後にガンダムを捨て、仲間たちの元に帰っていく。しかしこの映画のマークは違う。彼は1mmたりとも成長しない。むしろ彼が最初にいるところから一歩も動いていない、という形容が正しいか。劇中でFacebookのオフィスはどんどん大きくなり、施設が豪華になり、出入りする人も増え、うなぎ上りで成長していく。がその代表であるはずのマークはどうだ。相変わらずもさい恰好でヘッドフォンを付け、PCに向かい続ける。マークは変化しない。人として成長もない。変化したのは成功に踊らされた周囲の人間たちだ。これがこの映画がただの成長譚ではない、一風変わったものとなっている大きな理由である。彼は友達を得た。そして裏切られた。そして友達を失った。簡単な話だ。そう、まるで1クリックで友達を増やしたり減らしたりできるFacebookみたいじゃないか!ねえ。

さて、アムロに比べ成長しないマーク、と言ったがこれは別の見方ができるかもしれない。つまりこの映画で描かれたマークの物語はまだまだ途中なのではないか、ということだ。例えばガンダムで言えば「劇場版II〜哀・戦士編」の前半。アムロに助言を与え、そしてアムロによって倒されたランバ・ラルと、マークを導きFacebookの成長に多大な貢献をしたショーン・パーカーは少しかぶるような気がしないでもない。ランバ・ラルの方が圧倒的に渋かっこいいけどな!じゃあ「Facebookの足を引っ張った」エドゥアルド・サベリンはハヤト・コバヤシあたりか。別に僕はハヤトが役立たずって言っているわけではないよ(^0^) そして主人公から大切なものを奪っていったのも両者の共通点だ。ま、アムロもマークも奪われたもののことを本当に大切に思っていたかどうか、は一考の余地があるかもしれないがね。

ともかくFacebookの物語はまだまだ続くのだ。マークがFacebookから降りるそのときまで。…ところで、シャアはいつ出てくるのかな?

akirafukuoka的「2010年この映画がすごい!ベスト10+α」

2011.01.01 Movie

2011年、あけましておめでとうございます!去年のうちに公開する予定でしたがぐだぐだしてるうちに年越ししてしまいました。さて、去年は折角沢山映画を観たので、ベスト10形式でお気に入りの映画をまとめることにします。ネット界隈ではいろんな人がまとめている企画なので、自分なりの視点が深く入る作品をメインに選んでいくことにしました。あくまで「フクオカさんチョイス」ということでご了承下さい。では早速1位から!

第1位「告白」

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良作揃いの今年にあってこれは意外な1位、ということになるでしょうか。既にレビュー済みですがそれとは別に、今回は改めて1位になった理由を。映像です。別に映像自体が良かったわけじゃない。よくこの映画がレビューされるにあたって「この映像はよろしくない、映画として適切ではない」という声を良く聞いた。まったくもってその通りだし、それは新鮮みすら無い意見。あの映像の撮り方はCMやPVを作るようなあくまで「モノを売る為のうっすい映像」だ。狙ってこう撮られたのか、それとも本気でかっこいいと思って撮ったのか監督の意図は僕には分からないが、この「うっすい映像」が結果的にこの映画の骨子を強く支える結果になっている。

この映画の影の主役は液晶テレビに一瞬写る少女達、AKB48だ。歌い踊る彼女達が象徴しているのは「光に満ちたテレビの向こう側の世界」である。少年Aを始めとした中学生たちが恋いこがれ憧れる、「満たされた自分」がいるはずの「向こう側の世界」。中学生達の "告白" 形式で進むこの映画の映像が常に登場人物達の主観で進む。主観であるが故にその映像はドキュメンタリーとは異なるものになる。主観による脚色が入るのだ。そう、世の中のことを何も知らない無垢でハナ垂れでちっぽけな自尊心で心を支えるバカ中学生による脚色によって完成した映像、それがこの映画が描いた世界だ。彼らの知識ではテレビから流れてくるCMやPVが「かっこいいもの」の限界。そして、誰だって悲劇のヒロインや世界のすべての不幸を背負って生きる存在になりたいンですよ!ハハッ、ちっとも苦しくないくせにな!

大人が中学生に向かって「そんな幼稚な自己承認欲求を満たす為に、自分が思い描く世界に浸る、それがうっすいんだよバカやろう!」と言うのがこの映画だ。しかしその一方でそのうっすい世界を作り出したのはどこの誰だっけ?これを笑う人間は果たして無関係なのか?一周して映像が語るタイプの映画だったと思います。ひねくれ者としてとても楽しませていただきました。ぼくはこの映画大好きです!!

第2位「第9地区」

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宇宙からエビ型宇宙人がやってきた!ヤァヤァヤァ!しかし彼らは侵略者どころか「難民」として地球に降り立ったというではなイカ!いや、エビなんだけどね。そんな事情の "リアル北斗の拳" 都市・ヨハネスブルクを舞台に主人公のしがないサラリーマン・ヴィカスが大規模な "消毒" を先導する所から物語が始まる。面白いのはこの宇宙人が人間より遥かに強靭な肉体と、高度な知能を持ち合わせている所だ。にもかかわらず彼らは難民なのだ。難民であるという事にその生まれや能力等に関係はないのだ。スタートは外のものに対する恐怖だったかもしれない。それが時間を経て解決不能なサイズまでふくれあがっていく。

前半のシリアスなSFパートから後半は一転アクション重視の展開になっていくのもうまかったです。でも見終わった後に何の問題も解決していない事に気がついてはっとしたりしてね。ただの実験映画から一つ抜きん出た感。設定からテーマまで押さえつつ映画としてもお見事でした。個人的には後半に登場する強化外骨格を今年No.1パワードアーマに認定します!

第3位「ヒックとドラゴン」

後述のトイストーリー3と悩みつつ僕はこっちを推すことにしました。生活を脅かすドラゴンとの戦いに明け暮れるバイキングの島。誰もがドラゴンを打ち倒す事を夢見るバイキングの子供達の一人主人公ヒックだけは非力で剣も振るえない。が発明だけは得意。自分が発明した投石機で偶然にも「伝説のドラゴン」を撃ち落としてしまう。傷ついたドラゴンにとどめを刺せないヒック。ドラゴンに「トゥース」と名付ける。

もうトゥースが可愛くてしょうがないっwww 飼いたいよ〜!一方主人公の「非戦」というスタンス、そして戦争の向こう側にある圧力、行き違いという部分もちらりちらりと描いているのもよかったです。そして予想しなかったエンディングにグッと来ました。これが優しさだよなぁ…意外と注目されない作品ですが未見の人はぜひ。

第4位「トイストーリー3」

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堂々の完結。笑わせ泣かせ、もう完璧なプロット。完成度で言えば今年一番はトイストーリー3で決まり!人とおもちゃを巡る長い旅はついにおもちゃ同士が対峙することに。ついにおもちゃたちの墓場まで到達する「地獄巡り」の様相を呈していきますが、おもちゃ安住の地は果たしてあるのか?そしておもちゃを消費し続ける僕らはおもちゃに対してできることは。様々な用件を回収しながらもエンターテイメントに徹する姿勢はさすがピクサー!トイストーリー3部作に対して3DCG映画の功労賞を上げれるレベル。夢をありがとう!

第5位「キック・アス」

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ヒーローはとはいかにして生まれるのか。強ければヒーローか。何か能力を持っていればヒーローか。違う、ヒーローとは人々の中に生まれる。ヒーローとは個人の持ち物ではない、世間に共有されて初めてヒーローが生まれる。だからヒーローはたくさんの女の人と浮気したり、灰皿にテキーラを入れて飲ませたりしたらいけない訳ですよw そんなヒーローに憧れる童貞主人公。彼がヒーローになりたいと思う熱い気持ちは、ネット上で結実する。YouTubeやmySpaceといったコミュニティが彼をヒーローたらしめるという構図は実に面白い。…と、ストーリーのあらすじよりも何よりももうHit Girlの可愛さには誰も敵わないっ!!

第6位「インセプション」

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夢の中へ行ってみたいと思いませんか。クリストファー・ノーラン監督の絵作りがさらに表面化した今作。絵は台詞程にモノを言う。夢映画といえば「パプリカ」ですが、あそこまでぶっ飛ばない一方理知的で左脳的な雰囲気。ストーリーと仕掛けの引っ掛け方の上手さに関心です。

第7位「ぼくのエリ 200歳の少女」

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見終わった後、まさに血を抜かれたような気分になった一本。無垢って、時に残酷で。いじめられっこのオスカー、そして吸血鬼のエリ。オスカーは、エリのことが好き。人は人がいないと生きれないように、吸血鬼もまた人がいなければ生きていけない。好き、と、生きたい、の間で、無垢な気持ちはどこへいったらいい?オスカー役の子がまた白むちでいじめられそうな感じがいいんだー。エリの雰囲気も妖艶なたたずまいと幼さが同居していてよい。エリが "どちらだとしても" 抗うのはむずかしいね。

第8位「ローラーガールズ・ダイアリー」

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ドリュー・バリモア初監督…って一発目からいきなりいい映画でした。正統派「頑張るガールズムービー」ですが、エレン・ペイジのキュートさにやられちゃうのです。安定した将来の為と自分の夢を叶える為に娘を美少女コンテストで優勝させたい母親、母の気持ちも分かりつつも自分の自由と生き甲斐の為にローラーゲームに繰り出す娘。親子の意見が最後までぶつかり合うのがいいですね。白熱するローラーゲームも迫力があってよかった!ちゃんと滑ってるんだよねーよくがんばりました!

第9位「かいじゅうたちのいるところ」

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既にレビュー済みですが一言。母にありがとう。父にさようなら。息子からの父への思いが深く突き刺さります。

第10位「ハートロッカー」

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生々しい現地での戦闘シーン。あのヒリヒリする緊張感が胸を締め付ける1本。でも何よりも最高なのは最後の「コーンフレーク」のシーン。あれがこの作品のすべてだと思う。静かながらにあれは名シーンです。

おまけに第11位「おまえうまそうだな」

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おかあさーん!!

見終わったらそう叫ぶしかないでしょ!><「ぼくはみんなとちがう?」肉食恐竜と草食恐竜の兄弟の物語。子ども番組みたいな絵柄ですが、主人公が肉食に目覚めるシーンなど絵的な上手さが光ってました。アクションシーンも迫力があってお見事。アニメと侮らずぜひ。


さて全11位を発表した所で、+αの発表です!


女優賞・キック・アス、(500)日のサマー「クロエ・モレッツ」

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クロエちゃんをここに挙げられるならぼくはもうロリコンと罵られても構わないね!!Iron Man2のスカーレット・ヨハンソンも、ローラーガールズダイアリー/インセプションのエレン・ペイジも、(500)日のサマーのズーイー・デシャネルも、最後の最後でぶっちぎられました。ちょうかっこかわいいHit Girl役の彼女はもう完全無欠過ぎ!!「Show's over, Mother f●ckers!!」バキューン!

ちなみに今年公開のハリウッド版・ぼくのエリ「Let Me In」の吸血鬼役もクロエちゃんです。来年も楽しみなんだぜ…!!

男優賞・トイストーリー3「ケン」

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トイストーリー3では見事な「多言語対応」を見せてくれたバズもいいですが、最高に笑わせてくれたのはケンでした。バービーとケンの件で笑うなって言う方が無理w 衣装室でのケンは最高!!ホント大笑いさせていただきました。

名誉監督賞「今 敏監督」

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伊藤計劃という人がいなければ自分がここまで映画を観る事はなかったように、今敏監督の作品に触れなければアニメに再び興味を持ち直す事はありませんでした。現実と非現実の狭間をアニメーションという技術で行き来する監督の作品を観た時、アニメの本当の力を見せつけられたのです。「パーフェクト・ブルー」「千年女優」「東京ゴッドファーザーズ」「妄想代理人」「パプリカ」、どれも本当に大好きな作品です。これだけのものを見せてもらっておいて、もっと観たかった、というのは贅沢な願いでありましょう。

今監督、ありがとうございました!安らかにお休み下さい。


以上、これがぼくの2010年の映画記録です。来年も楽しい映画がたくさん観られますように!

Tron: Legacy(トロン・レガシー)はデジタル歌舞伎ではないか、という結論に至る。

2010.12.20 Movie

※2010.12.21追記
凄い持って回った書き方をしてしまったのでやや誤解を招くエントリーになってしまいましたが、あくまでTron: Legacyのストーリーはハリウッド映画としてベーシックなものです。僕個人としては普通である以上ストーリーに不満はないです。それでも世の中には「何かと重箱の隅をつつきたがる人」がいるもので、そういった人のことをだいぶ意識して書いた文章です。…でもまあ映画の感想も人それぞれだしね。僕個人の気持ちとしてはみんなに見てほしい映画です。だってかっこいいもん!そういったところをふまえてお読みください。じゃ僕はRaw-Fi 3Dの準備がありますので!

Tron: Legacy(トロン・レガシー)。IMAX 3D、字幕付きで鑑賞。

さて時間もないことだし回りくどいことを言わず単刀直入に行こう。まずTron: Legacyを観るにあたって大切な3か条を書き記す。

1. 「映画はストーリーがなきゃヤダ」「筋が通ってない話は嫌い」「映画は泣くために見る」とか言うやつはそもそも観るな。
2. 前作「TRON」は必ず鑑賞しておくこと。
3. IMAXシアターが近くにあるなら極力そこで観る。音声吹き替え推奨。

何となく感じてもらえたと思うが、Tron:Legacyは見る人を選ぶ。「映画はとても高尚なもの」と捉える人にはまず耐えられない、かもしれない。その原因は主にストーリー部分であろう。が、かといってこの映画に何の価値もないかと言うとそうでもないんじゃないかな、というのが今回の論旨。

[ストーリー]

"最低" と評する人もいるけど映画のストーリーってこんなもんでしょう。僕にとってあれくらいは普通。そもそもオリジナルTRONだってあらすじは「俺のゲームパクった証拠探してたらなんか悪いプログラム倒してたわwww」なのでそもそもそんなに内容がないわけですよ。ただもしTron: Legacyを見る予定なら間違いなく前作TRONを観ておいた方がいい。細かいネタがかなりちりばめられているのでそれを拾っていくだけでも楽しめる部分がある。あと字幕で鑑賞したんですが、台詞が若干浮ついていた感じがしたのは元の台詞のせいか、それとも字幕翻訳のせいか(もちろん、なっちゃんのお仕事だよ☆)。後述の映像の件も含めると、個人的には吹き替え版の鑑賞をお勧めします。

ストーリーの軸は「傲慢さ」である。映画は主人公・サムが父親の会社を我がものにする人間に泡を吹かせてやろうという「傲慢な行動」からスタートする。取締役として正当に行使できる権利があるのにも関わらずそれを使わず、子どもっぽいやり方で我を通そうとする。サムが会社の人間を快く思わない理由もわかる、が、社会的な責任を負わず自らの要求のみを通そうとすることこそ傲慢というものだ。

一方サムの父親、前作の主人公であったフリンは電子世界の創造主である。電子世界の存在にとって彼は "神"(彼を見た住人が手を合わせ拝むシーンは印象的だ)。フリンは自らに似せて作ったアバター、「クルー」と共に電子世界を管理しようとする。しかしクルーの反逆にあい、平和だった電子世界は一転。横暴なクルーの圧政によって電子世界は混乱する一方、フリンは電子世界の果てに逃亡する。そして前作でビットくんとの漫才的な掛け合いを見せるほどひょうきんだったフリンの姿は身を潜め、「禅」なんてまやかしにすがるようになってしまった。クルーこそがフリンの「何でもコントロールできる」という傲慢さをミラーリングしたものであり、さらに現在のフリンは自らの創造物に手をかけることを恐れ、「禅」や「全てが収まるまで時を待つ」などという消極的解決に向かおうとする。自らの責任を果たそうとしない彼の心もまた傲慢だ。

そしてクルー。自らは神に似せて作られたが、神の力「創造力」は持ち得ていない。しかしその力をなんとかして手に入れようとする。人間は神に似ても神になれないように。決して手の届かないものを手に入れようとする傲慢。このように各々が手に持たないもの達の物語がTron: Legacyである。父と子、お互いが「勇気」「自制」という2つのカードを出し合うことで、二人の慢心を解消することがこのストーリーの大きな柱である。

[映像]

Tron: Legacyにおいて最大の柱はもちろん映像。3D大作映画と言えばアバターだが、アバターのように「誰も見たことがないような不思議な光景」はTron: Legacyではいっさい出てこない。どこまで言っても電子世界の風景が続くだけで、想像だにしないものはまったく出てこない。が、何が凄いのかと言えば単純にかっこいいのだ。おなじみライトバイクでの光の軌跡を使った攻防。IDリングを使った殺陣。立ち姿。座り姿。構え姿。広大な電子都市。浮遊する乗り物。どのカットもかっこいい。オレンジ色のトロンスーツを着たおっさん5人が下から競り上がってくるだけでもうね、超痺れる。なんて言ったらいいんだろう、映像の「キメ」がいちいちかっこいいんですよ。歌舞伎で言うところの「見得」にあたる部分だと思うんだけど、こう見えたらかっこいい、こうなったらかっこいいっていうのがよくわかって作られている感じ。こんなにちゃんと気持ちよく映像が決まるならこれだけで十分楽しめる。なので観に行く人は出来ればIMAXで、字幕はやめて吹き替えで映像に集中するのがベスト。

一方若干カットの時間配分が緩い部分と早すぎる部分の両方があったような気がしてそこがもったいない感も。ジョセフ・コシンスキーさんが長編初監督というのもあるんでしょうね。

あと前髪ななめぱっつんのヒロイン、クオラが強かわいくて素敵でした。クラブのオーナーのキャスターもいい感じのおバカキャラで○。

[音楽]

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もう既にサントラを買って聴き込んでいる人も多いでしょうが、映画の音楽はDaft Punkが全面的に担当。IMAXの音響で聴きましたけどこれがヒジョーによい!映像・音響両面でIMAXでの鑑賞をお勧めします。サントラのレビューで「Daft Punkっぽくない曲が多くて不満」との意見もありますが、音楽としてはちゃんと映画用の音になってるのはけっこう重要な気がしますけどね。Daft Punk的主張は香り程度にとどめておくのが正解じゃないかと。そしてやはりご本人登場のクラブのシーンはアツい!!

みんな映画に何を求めているんだろうか問題を少し、考えたり

結論としてはTron: Legacy、「映像と音楽に身を任せていれば楽しい映画」ということになりました。歌舞伎を観に行く感覚で行ったらいいと思う。いや、灰皿とかテキーラとかそういうことじゃなくてですね…映像と音の「見得」を楽しむという意味で。ともかく僕は観賞後、非常に満足して映画館を出ましたが、一方でお話に一点のほころびも許せないタイプの人にはかなり苦痛な映画でしょう。

一応言っておきますが、私はどちらかと言えば作り手だし、自分がはずれを引いたとも思いたくないので、レビューでもいいところを拾いがち。それにぎゃーぎゃー悪いところ言ってもなんか感じ悪くなっちゃうし、「俺選定眼なさ過ぎwww」「俺時間の無駄使い過ぎwww」っていう評判を周囲にばらまくような行為な気がして嫌だったり。いやま、私が自意識過剰なだけなのかもしれませんな。皆さん、映画は自己責任で楽しみましょう!!

iTunesStoreで遂に映画配信が開始!悲願達成記念にわかりにくいところを解説。

2010.11.12 Gadget

正直あきらめていた。4年前、AppleがiTunesStoreで映画を販売すると発表したとき、直に日本でも同じサービスが始まるだろうと信じていた。信じていたが待てども待てどもサービスインの日は来ない。権利の壁はあまりにも高く、そうこうしているうちに私の心は冷えきってしまった。日本がネット先進国?バカ言っちゃいけない。ネットを通じて映画すら配信できない国のどこが先進国だというのか。この閉ざされた扉は一生開くことはないかもしれない…。

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そう思っていた中、昨日突然AppleがiTunesStoreで映画の販売を始めると発表した。あまりに突然のことで、これだけ待望していたにもかかわらず正直ピンとこなかった。それほどまでに長かったんですよこれまでが!! ローンチ時のタイトル数は約1000本。しかもよく知らないB級映画ばかりではなく、ハリーポッターシリーズやバットマンシリーズ、踊る大走査線シリーズといった洋画・邦画の人気作も多く含まれている。当然ピクサー、ディズニーの作品も。パイレーツオブカリビアンのジョニー・デップを好きなだけ堪能できるし、なんといってもトイストーリー3も早速取り扱われている。Apple担当者のインタビューを見るにラインナップの拡充も心配なさそう。

今回の映画サービススタートによって、iTunesをインストールしたMac/PC、iPhone、iPod touch、iPad、そして今回同時に日本でも発売が始まった新AppleTVで映画がダウンロードできるようになった。でも新サービスなのでいろいろ慣れない点も多いはず。今回のエントリーではiTunesStoreでの映画購入に関してわかりにくいところをまとめます。

1. 販売方法は購入・レンタルの2通り

iTunesStoreを通じた映画の購入方法はは2通りある。購入レンタル。要はDVDと同じで、購入ならいつでも好きなときに見られるが、レンタルなら一定期間しか見れない。しかしレンタルの方が支払う金額は安いのは想像通り。詳しい料金は以下の通り(AV Watchから拝借)。

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ざっくり言って購入は1,000〜2,500円、レンタルは200〜500円。値段のレンジは画質(SDかHDか)、販売時期、人気作かどうかで分けられる。正直「いつでも何度でも観れる」とはいえ購入で2,000円近い金額を出すのは気が引ける。一方レンタルは高くても500円。最低200円だ。ちなみに近所のTSUTAYAでのDVDレンタル料金は新作が400円、旧作が100円。更にiTunesStoreならBlu-ray Discには及ばないまでもDVDよりも高画質なHD画質で観ることもできる。そしてMacで観てもiPodで観てもiPhoneで観てもiPadで観てもAppleTVで観てもいい。この便利さで100〜200円の差は埋められそうだ。以前も書いた通り、たまにしか観ない映画でHDDを圧迫するよりはレンタルの方が多くの場合お得になるはず。

2. レンタルは返さなくてもいい代わりに再生のタイムリミットがある

レンタル、といってもTSUTAYAで借りるのとは違って返さなくていいのが楽ですね。でも返さなくてもいい代わりに一定期間しかレンタルした映画は観ることができない。

・購入から30日以内
・初回再生スタート時から48時間以内
(アップした当初24時間と書いていましたが48時間が正しいです><ごめんなさい!)

この2つの条件を満たしている間のみ視聴することが可能。正直十分すぎる期間です。

3. AppleTVでは「レンタル」しかできない

販売の種類と料金について把握した。そしていろいろな機器から購入できるのも把握した…が機器によって購入できるものが異なることがあるので注意が必要。

まず、映画によっては販売の種類が「購入」のみしか選べないものが存在する。ダークナイトアリス・イン・ワーンダーランドなど。これらの動画はApple TVから購入することができない。AppleTVは(公称では)保存領域を持っていないからだ。AppleTVでは購入オンリー映画は表示すらされないので注意が必要。一方その他の機種では当然購入・レンタル両方可能。つまりこういうこと。

「購入」のみ映画を買える(てか何でも買える) → Mac/PC、iPhone、iPod touch、iPad
「購入」のみ映画は買えない          → AppleTV

4. レンタルした映画はダウンロードした機器によって他機器にコピー可能かどうかが変わる

Mac/PC、iPhone、iPod touch、iPadならば映画が「購入」できる、そして購入した映画はiTunesを介して機器間で共有することができる。Mac/PCのiTunesで「購入」すればどの機器にもコピーできるし、iPhone等iOS機器で映画を買ったとしてもiTunesにコピーすれば他の機器でも観ることができる。

が、「レンタル」の場合だと話が変わってくる。Mac/PCのiTunesでレンタルすれば購入したときと同じように複数の機器にコピーすることができるが、iPhone、iPod touch、iPadそしてAppleTVで映画をレンタルした場合、コピーできません。「iPhoneで映画レンタルしちゃったけどやっぱり画面の大きいiPadで観たいな☆」と思ってもコピーできないので要注意です。まとめると以下の通り。

「レンタル」した映画を他機器にコピーできる  → Mac/PC
「レンタル」した映画を他機器にコピーできない → iPhone、iPod touch、iPad、AppleTV

よほど不安ならMac/PCのiTunesからレンタルした方がいいでしょうね。ちなみに回線にもよりますがSD動画なら15分くらいでダウンロードは終わります。

ともあれ素直な気持ちで喜びたい

と解説すべき部分はこれくらいでしょうか。現在のiTunesStoreでも十分にがんばっていることは伝わってきますが、いくつか要望もあります。タイトルが長い映画だと、一覧表示時に(字幕版)と(吹き替え版)の違いがわかりずらいとか。映画もいいんですけどテレビ番組も配信してほしいです、とか。でも4年越しの悲願実現ですからひとまず今回のローンチを素直に喜ぼうではありませんか!ぜひとも配給各社さんにはどんどん新作・名作映画を追加していってほしいところです。もちろんアニメもね!あ、新AppleTVのレビューは次のエントリーにしたいと思いますのでお待ちください。

…しかしこれだけ待たせておいてなんで急に映画配信がスタートしたんでしょうね。Appleだってはやくサービス始めたかったでしょうに、想像ですがおそらく配給各社が首を縦に振らなかったのでは。そういえばちょうど同じタイミングでAppleと電通グループがiAdに関して契約を結んだことが発表されましたね。かなり大きな額のお金が動く話のようですから、さぞ電通の方も大喜びでは…そのかわり映画配給会社に口利きをした、なんてことがあったら面白いですね。いや、あくまで想像ですよ!

サマーウォーズ、本日金曜ロードショーにて地上波初放映!

2010.08.06 Movie

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私が望んだ通り、遂にサマーウォーズが金曜ロードショーで真夏の本日地上初放映!私の声がやっと日テレに届いたか!…というわけではなくおそらくアリエッティにも出演している神木君が声をやってるから、アリエッティの宣伝のダシにサマーウォーズが使われて…いやいや無粋なことを考えるのはやめて素直に今回の放映を喜びましょう。日テレさんに大感謝です。

もう何度も言っていることですが、ジブリ作品、宮崎アニメだけが日本のアニメだと思ってほしくないんです。優れた作品がたくさんあることをもっと知ってほしい。アニメはオタクのためだけの狭いものじゃない、みんなが楽しめるエンターテイメントだってできることを知ってほしい。おこがましいことのようだけど、そうしないとアニメの業界自体狭くなっていっていずれ潰れてしまうのではないかと思っています。それに単純にもったいないでしょう、こんな夏らしくて楽しい映画があるのに、夏にみんなで観れないなんて!!

サマーウォーズは精巧なパズルのような作品ではありません。アラだってたくさんある。これ以上緻密な作品なんてアニメ実写問わず山ほどある。だけどこれだけ楽しくしよう、楽しませようっていう作品に出会ったことはありません。映画館であんなに観てる人が笑ってる映画初めて見たからね。

今日ばかりは忙しくなければ早く家に帰ってください。家族で食事をしながらでも観てください。一人暮らしの人もゆっくりと。泣いたり笑ったりしてください。

1年間サマーウォーズを応援してきましたが、おそらくこれがこのブログでは最後の応援エントリーになるでしょう。残念ながら私は会社の歓迎会があるのでリアルタイムで観ることはできませんが、それでもネットで繋がってるから。だから僕の代わりに皆さん「よろしくお願いしまーす!」

ちなみに神谷くん制作のサマーウォーズ放映までのカウントダウンクロックも。仕事とかじゃなくてあまりにもサマーウォーズが好きだから創ってしまったらしく。素敵です!

映画「告白」 - 人は自分にすら嘘をつき、人は片面しか見ることができず、人は平気で正義を下す。

2010.06.07 Movie

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映画『告白』公式サイト

原作小説未読、予備情報ほぼ0のまま鑑賞。

とある中学校の教室から物語は始まる。ホームルーム中だというのに教師に構わず席を立ち、大声で喋り、ものを投げ、携帯を使い、大騒ぎをする生徒たち。学級崩壊。使い古されすぎてあまりにもチープになってしまった言葉が頭を過る。猿じゃあるまいし。異常だ、このクラスは。しかし担任の女性教師である森口はそれを止めるでもない。教師なのに。教師なのか。教師って。そして彼女はただ淡々と「告白」を始める。自分があと1ヶ月で教職を離れること。自分には娘がいたこと。娘は週に一度学校で自分の仕事の終わりを待っていたこと。その娘がある日プールの中で死体として発見されたこと。娘が死んだのは事故ではなく誰かに殺されたこと。そして、娘を殺した犯人はこのクラスの中にいること。

その後も生徒やその親といった関係者からの告白が続き、各々の視点からこの事件の全貌が浮かび上がっていく。

この映画はそれぞれの告白を通して「視差」を描いている。被害者の親、加害者、加害者の親、加害者の同級生。それぞれの視点によって異なる「事実」。ロールシャッハ・テストの結果は性格や心情によって大きく異なるだろうが、この告白の場合問題なのは各自が自分の内にも、外にも嘘をついていることで事実は更に歪んでいく。「真実」はたった一つしかないのに。いや、本当にたった一つしかないのだろうか。

この映画の映像はとても美しい。さすが中島哲也監督だけあって、まるでCMのような美しいシーンが連続する。中学生も、教室も、グラウンドも、私たちが知っているものなのにまるで。嘘みたいな世界。私たちがよく知る世界にも、見方を変えるだけでこんなに美しい世界がある…我々は常日頃物事の片面しか見ておらず、知っているようで知らない世界がこの世界に存在すること暗示しているかのようだ。

今作品の登場人物は皆異常である。少なくともそのように見える。自らの苦境から逃れるために人を殺す加害者。加害者を悪と見なし徹底的にいじめる生徒たち。加害者の親は我が子の正しさを確信し、被害者の親は心に復讐の火を灯す。とてもじゃないがまともではない。普通ではない。しかし普通とはなんだ。普通ではないと言う以上は、普通が、正しい世界がどこかに存在するということだろう。では正しい世界は誰が決めるのか。誰も決められない。各々の告白の中では誰もが自分の正しさを主張する。自らが正義であると。もし全てが見通せる完全に中立な存在があったとしたら(神様のような)、彼らの正義を認めることはできるのだろうか。おそらくできない。お互いの主張は中和され、正義も悪もなくなってしまう。人は全てが見えないからこそ、正義を振るうことができる。

例えばブログが炎上したとき。捕まえることも裁くこともできない人間が義憤にかられてブログ主を攻撃する。そのブログを攻撃し、炎上させた "彼ら" はことのすべてを見ていたのだろうか。全てを知った上で攻撃しているのだろうか。会ったことも見たこともない人間に躊躇なく正義の鉄槌を下せてしまうのは、「知らないから」じゃないのか。むしろ知れば知るほど判断が鈍っていく。アンパンマンがバイキンマンの気持ちを知ってもなお殴れるとは思えない。それでも正義を為そうとするならば…自分の向こう側に広がる世界に対して、見て見ぬフリをするしかない。他人に、自分に嘘をついてでも。

被害者の母である森口は一度がっくりと膝をつき、気づいてしまう。己がかざそうとしてる正義の脆さ、無意味さに。それは彼女が正常な人間であるという証であり、しかしそれでもなお目をつぶり己が正義を貫こうとする彼女もまた正常である。

   なーんてね

僕らが必要としていたのは、きっと小さな成功だった。『東のエデン劇場版II Paradise Lost』

2010.04.12 Movie

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ネタバレを含みますのでいちおう観るつもりの人は読まないように。

正直、何書いていいかわかんないんだけど。

「東のエデン 劇場版 II Paradise Lost」の感想というかレビューを書かなければ、とずっと思っていたができなかった。「東のエデン 劇場版 I The King of Eden」のレビューをしているんだからその続きであるIIのレビューもするのが当然ではある、がえらく悩んでしまった。理由としては簡単で、映画としてはうまくいっていないように感じてしまったからである。テレビのテンションで続いているのに、話の焦点がすげ変わったせいだと思うんだけど、結果的には「時間不足」になってしまっている印象。そして私の中では「映画すなわちエンターテイメント」という基準があるため、映画的な興奮はさほど感じなかったこと。話の落としどころも、現在進行形の事象を扱っていることもあって、むしろよくここまで食らいついたなとと関心しているのですが…ともかくどう書いていいものかなかなかまとまらなかった。

で今回のエントリーでは完全にまとを絞って、私が今作で最大のキーになるであろう、亜東と滝沢がお金について語るシーンから話を切り出すことにする。何故新聞配達のバイトをしているのか?という質問に対して滝沢はこう答える。

「人からお金を貰う練習をしているんだ」

お金って何だろう?:「クズ子」の場合。

ワラノート うちの母ちゃん凄いぞ

ところで「クズ子」という人物をご存知だろうか。クズ子はちょうど1年前ほどに2chで「うちの母ちゃん凄いぞ」というタイトルでスレッドを立てた女性(スレ中の表記に習い敢えて敬称略です。クズ子さんごめんね><)。そのまとめはここにあるのでぜひ読んでほしい。全5回にわたってまとめられた長いスレッドなのだけれども、これが非常に面白い。クズ子の母親が離婚し、家族が崩壊したところから話が始まる。借金取りに追われる生活を脱するべく、一人奮闘するクズ子のお母さんはあっという間に出世を繰り返し、母親として、そして一家の大黒柱として、崩壊した家庭を支えることになったとてつもないお母さんの奮闘記。…なんだけど問題はクズ子のほうで。両親の離婚の件で心を病んだ後、回復した後もクズ子というだけあってニートでお金にしか興味がないような荒んだ生活をしていたという。私もだらしない人間だけど、そんな私でも驚くほどのダメっぷりを発揮するクズ子。家にいても何もしようとしない、ただ友達と何となく遊んでただただ怠惰な日々を過ごす。彼女はその環境から出よう、変わろうという気持ちすら生まれない。しかし彼女に転機が訪れる。料理を作り始めたことだ。

母や妹のために料理を作る。他人のために何かする、というのは彼女の中での変化の第一歩だっただろう。そして彼女はひょんなことから自分で作ったクッキーをバザーで売ることになる。彼女にとってお金は使うものでしかなかった。しかし彼女は自分の手で、力で、初めてお金を貰うことができた。その5000円の何と尊いことか!(この時のクズ子はそんな感情がないからすぐ使っちゃうんだけどね) その後も彼女の金銭感覚のズレはなかなか治らないながらも、この5000円をスタートに自分でお金を稼ぐことを覚えていく。無気力なニートから、確実に成長を遂げていく彼女の物語はとても清々しい。

僕らに必要なのは、ほんの小さな成功体験

滝沢は言う。「偉そうにみんなお金を使っているし、お金を使うことが楽しいようにみんな振る舞ってるけど、本当は違うんじゃないか。お金は受け取れることがうれしいのが本来の社会じゃないのか」。お金を使うことに引きずられて、本質を見失っている。大きなお金を使うために大きな成功を収めようとする必要はそもそもない。今日本人に必要なのは「成功体験」だ、と彼は言っているのだ。成功体験が自信に繋がる、そしてその成功をさらに大きくしようと考えることで社会は回る。何も成功といっても大きな成功である必要はない。大企業に就職することだけが成功じゃない、ホリエモンや孫正義になることだけが成功じゃない、もっと小さくていい。自分でものを売り、お金を受け取る。そんな小さな成功体験が。

5000円は確かに少額である。しかしクズ子にとっては大切な成功体験だった。東のエデンの結末でも、ニートたちがバザーを開き、自分の手でお金を稼ぐことを覚えていく様子が描かれている。滝沢は日本国民全員に「1円」を配ることで、新たな経済圏「東のエデン」を成立させるというよりもむしろ、お金を貰うことの喜び、自分を信じてくれる人がいることの喜びを伝えたかったのかもしれないですね。

こどものにとってのじぶんだけのせかい、それが「かいじゅうたちのいるところ」。悲しさの向こうにハッピーエンドは待っている。

2010.01.19 Movie

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かいじゅうたちのいるところ - Where the Wild Things Are

誰もがこころのなかに持っていた「じぶんだけのせかい」

子どもを取り巻く環境は我々の想像以上に過酷なものだ。もちろん僕らも体験してきたはずなのに、大きくなるとすぐに忘れてしまうから困ったものだよ。友達や、学校、家族のこと、子どもが恐れや不安を抱えてしまう機会は多い。大人なら "他愛のないこと" として処理される事柄も、非力な子どもたちにとっては大きな障害になる。特に家族の問題となると、距離が近くても解決が難しいから(私にそのような問題が起こらなかったことはとても幸せなことだと思う)。そんなとき、子どもなら誰もが心の中に「じぶんだけのせかい」を作って逃げ込むんだ。それは「こころの砦」とも言える。これを読んでいるあなたももれなく持っていただろう。自分が望むワンダーランドを夢想して、こころの傷を癒すんだ。そうだな、それを "ネバーランド" と呼んだ人もいるかもしれないね。

そんな「じぶんだけのせかい」を大人たちは他愛もないおままごとだと言うだろう。でもそれは違う。子どもたちにとってそこはどれほど尊く、大切でかけがえのないものか!! それを奪うような大人がいたら私は許さない。「かいじゅうたちのいるところ」はある一人の男の子の「じぶんだけのせかい」を描いたかいじゅう映画なのだ。

(先に言っておきます。この先の文章はネタばれを含んでいます。それも厭わないのであれば続きをどうぞ。それか映画を観てきちゃうかね!!)

すごいぞ!! おおきなかいじゅうとふしぎなしま!!

主人公の男の子マックスは世間的に見れば「寂しい男の子」だ。お父さんとお母さんは以前に別れてしまった。お姉ちゃんは友達と遊ぶのに夢中でかまってくれないし、お母さんは仕事が忙しい。しかも家に"彼氏"を連れてくる。…この時点で気持ちがつぶれそうになるよ。案の定マックスは大騒ぎしてお母さんを困らせたあげく、家を飛び出す。「こんなことになったのは、ぼくのせいじゃないのに!!」…彼はボートに乗り、大海原の遥か彼方を目指す。そして行き着いた不思議な島に、かいじゅうたちはいた。

マックスくんは子どもだ。子どもだから手加減がわからない。冒頭の姉とその友達に雪合戦で喧嘩を売ったあげく(理由はもちろん寂しいからだ)、始めはキャッキャ笑いながら雪を投げていたくせに、結果こてんぱんにやられ、あげくテンションがた落ちになり泣き出してしまう。あぁ、あったこういうこと。まるで自分を見ているようだった。楽しく遊んでたのに、あることをきっかけにテンション下がって嫌な空気になるあれ。はー、自分と他人の関係性なんてまるでわかってない、だから自分が望んだのとは見当違いな方向に行ってしまう。子どもは基本かんしゃく持ちで、暴力的。マックスも当然そんな男の子だ。

そんなマックスが嫌な世界から逃げ出し、飛び込んだかいじゅうたちが住む島。この情景がまた美しい!少年の横顔、かいじゅうの横顔、絶壁、海、逆光…という構図が2度ほど登場するのだけど、これがはっとするほどきれい。もちろんかいじゅうたちもそれはそれはとてつもない。大きくて、木を粉砕しちゃうくらい力持ちで、意外と俊敏でピョーンととんでもなくジャーンプ!したりする。アクション映画かとおもうくらいアクションしてくれるかいじゅうに胸躍りっぱなしなのだ!! そのくせ表情は人間並みに豊かだ。表情だけで成立しているお芝居も多く、次第に人間と同じように感じられていくのが自分でも不思議な感覚。

ゆめのようでゆめじゃないせかい

さて「じぶんだけのせかい」に潜り込んだマックスは王様として振る舞い始める。自分の望む、自分の居たい世界に作り替えるのだ!! …だが結果的に彼の計画は破綻してしまう。かいじゅうとマックス、みんなで楽しく暮らそうと思ったのに、ちょっとした勘違いや、先を考えない行動がくだらない争いを生み、彼の考えた王国は滅ぶ。子どものころの友達とのけんか別れなんてたいていは他愛もない諍いから始まるように。

かいじゅうの一人であるキャロルもまた、マックスと同じようにみんなが楽しく暮らせる世界を望んだ。キャロルはマックスの離ればなれになった父親の写し込んだものだ。同じように「じぶんだけのせかい」の多くはマックスが生きる現実世界の模写になっている。キャロルとの仲がうまくいかなくなったかいじゅう、KWはもちろんお母さんを置き換えたものだし、KWがもてはやしている2匹の鳥(マックスとキャロルは鳥の言葉を理解できない)は、母親が打ち込む仕事やその同僚といったところだろう。この映画を見ている僕らはマックスの視点とかいじゅうへの置き換えを通じて、彼の家に起こった出来事を追想することになる。マックスやキャロル、KWの努力も虚しく彼らの距離は離れていくばかり。でも王様ではない、子どものマックスにはどうすることもできない辛さ。大人は勝手に納得しながら、子どもには理解できない不条理を目の当たりにして、ただただ胸が苦しくなる。外界に対する子どもの感じ方をもろに表現したこの映画は想像以上にヘビーだ。

涙を流した後にはそこに虹ができるように

…しかしおかしな話だ。「じぶんだけのせかい」を "想像している" のだから、何も辛いことのない世界を想像することだってできるはずだ。なのにマックスの世界は現実と照らし合わせたかのような破滅的な結末へと向かっていく。何故想像の世界なのに自分の気持ちいい世界を目指さなかったのか…?そう、「じぶんだけのせかい」は単なる逃げ場じゃない。目指すべきは外の世界であり、そのために傷ついたこころを癒す波止場のようなものなのだ。マックスの目的は外の世界で強く生きることだ。内なる世界でのうのうと暮らすことではない。だから王国が崩壊していく様は、彼が他人と向き合い、考え、納得し、こころの傷を癒した証拠だ。そうだ彼は子どもだ、両親の離婚なんか止められるはずがない。過ぎし日を取り戻すことはできないが、父との別れをこころの中で消化することはできる。

苦しい現実がそこにあっても、父への愛を確認し、母からの愛情を感じることができる。マックスは少しだけ大人になった。だからこの映画はきっとハッピーエンドじゃないかな。



ストーリーと映像の話をつらつらと書きましたが、サントラ(iTunesAmazon)も素敵です。こどもがっしょうだん!!

本編では流れませんが、トレイラーに使われているArcade Fireの"Wake Up"(iTunes)もすてきです。

行き過ぎた資本主義からアメリカ国民を救い出せ。『キャピタリズム マネーは踊る CAPITALISM:A LOVE STORY』

2009.12.14 Movie

「ソイレント・グリーン」をバカにできないアメリカの現状

「ソイレント・グリーン」というSF映画がある。舞台は2022年、人口増加によって食料の価格が高騰、一握りの富裕層が野菜や肉を独占し、ほとんどの貧しい人間は合成食料しか口にすることができない超格差社会だ。合成食料を生産するソイレント社の闇を追う主人公は新商品「ソイレント・グリーン」の恐るべき真実を知ることになる。生産工場に運び込まれていたのは人間の死体。ソイレント・グリーンは人間の死体から生産されていたのだ。「ソイレント・グリーンの原料は人間だ。早く何とかしないと、今に食糧生産のために人間を飼うようになる…!」

今格差社会が広がっているからといって、人が食物に変わる世界がやってくるわけではない。だがこの話を絵空事と笑えない現実が今ここにあることをマイケル・ムーアの新作映画「キャピタリズム」は警告する。人を食べ物、いや金に変える世界。つまりは労働者は搾取され、富めるものはますます富を得る世界の到来だ。

ただただ真面目に働いて暮らしていただけなのに…どうしてこうなった?

映画のまず銀行強盗を写した防犯カメラの映像をつないだものから始まる。支払能力がないからと銀行に自分の家を差し押さえられた人はこう言う。「今初めて銀行強盗の気持ちがわかった。俺だって銀行から金を奪い返してやりたい」。むしろ罪もない人間から住む場所を(警察という公的権力を借り出してまで)奪い取っていく銀行こそが "強盗" ではないのか…そうマイケル・ムーアは問う。この映画は徹底的に「富めるものはますます富み、貧しいものはますます貧しくなっていく」現状を様々な角度から切り取っていく。

個人的にもっともキツかったのは、名だたる大企業が労働者に生命保険をかけている、というところ。労働者の家族には内緒、もちろん受取人は…企業だ。人の死が、企業の利益に変換されている。まるでこれじゃソイレント・グリーンそのものじゃないか!? こんなSFみたいに狂った世界は間違っている、なぜこんなことが許されるんだ?…許されるんです、資本主義(キャピタリズム)の名のもとに。

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利益を追求することを第一とし、そのために必要な競争はすべて許される!大企業はそれでいいかもしれないが労働者はご覧の有様だよ!そもそもアメリカは大企業のために作られた国だったか?ここがマイケル・ムーアの視点の面白いところ。わざわざ本物の合衆国憲法の原文を確認に博物館へ。もちろんそこには「資本主義」の一文字もない。資本主義の反対語はなんだろうか。社会主義。確かに正しいがこの映画ではちょっと違う。民主主義だ。行き過ぎた資本主義が「自由の国・アメリカ」をいつのまにか「自由競争の国・アメリカ」へ変えた。変わったはいいがそれで儲けたのは極々一部、むしろ労働者の自由は奪われることになったわけだ。

そしてサブイプライム問題、リーマンショックの話に入ると一段の盛り上がりを見せる。銀行への7000億ドルの公的資金注入を巡る政治家たちの攻防。そもそもその公的資金こそが「アガリを決め込んだ金持ちたち」の最後のボーナス。結局国民の税金は銀行の重役たちのボーナスに割り振られるばかり。マイケル・ムーアはこれを税金の横領、つまり "犯罪行為" として各銀行のCEOを市民逮捕しようとするが…

労働者たちよ、己の権利を声高に叫べ

「サブプライムとかリーマンとか聞くけど結局あれは何なの?」という人はぜひ観に行ってみるといいかもしれません。お金がらみの複雑な話ですが日本人の私にもすんなり理解できるくらいわかりやすくまとめられています。やはりドキュメンタリーでも退屈じゃないのはマイケル・ムーアの笑いのセンスによるところが大きい。節々に挿入される音楽やイメージ映像(劇場では「ジーザス」吹き替えネタで笑ってる人が多かったなぁ)も愉快だ。でも演出は演出、それに左右されすぎないように、ということも忘れちゃいけないけども。

ぜひ「東のエデン」を見ている人にはセットで観てもらいたい映画です。貧富の拡大というものはどこから来たのか、どこへ向かうのか。東のエデンではなぜ日本にミサイルを落とそうとしたのか。「富の再配分」は東のエデンとキャピタリズム双方に通じるキーワードでもある。

そして映画の最後には希望も提示される。世界のシティバンクの中の人も恐れる事実、それは国民一人ひとりが投票権を持っているということ。お金持ちだろうとなんだろうと票の重さは平等だ。持てる者がその義務を果たさないのならば、持たざる者はそれを要求するまで。労働者の声は無力じゃない、むしろ集まればこれほど強いものはない。そう誰もが "小さなミサイル" を打ち込むことができるのだ。

これは、この国の王様になって日本を救おうとする男の物語。『東のエデン劇場版I The King of Eden』

2009.11.29 Movie

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「100億円使って日本を救えって言われたら…どうする?」

「あなたは今の日本をどう思いますか?」と聞かれれば多くの人から返ってくる答えはネガティブなものばかりだろう。格差の拡大、雇用不安、ニートの増殖、政権が変わっても続く政治不信、解決の糸口が見えない国際問題、「マスゴミ」と呼ばれるメディア…バブル崩壊「失われた10年」を経た現在でも日本を包む不安な空気。「いつかはわからないけど、日本が終了する日がきっとくる」そんな気持ちが心のどこかにある…わかった、じゃあこうしよう。

「あなたに100億円を渡す。この100億円で、自分の思う方法で日本を救え。しかし100億円渡されただけではどうしようもないだろう。あなたにコンシェルジュ機能付き携帯を渡す。あなたのどんな願いでも叶えるコンシェルジュ・JUIZ(ジュイス)だ。では、健闘を祈る」

こうして日本のある12人にケータイが渡されたところから「東のエデン」の物語は始まる。東のエデンは全11話の連続テレビアニメ。既にRaw-Fi Blogで小説版の解説をしているので詳しい説明は省略しますが、世界経済と日本の情勢、ネットの「今」を表現した社会派なアニメであり、同時に少女漫画のようなロマンスとエンターテイメント性が融合した非常に稀有な作品です。男の子だけでなく女の子も楽しめるのもこのアニメの特徴かもしれません。今ならDVD全話レンタルできるのでみんなTSUTAYAへ!!

そして今回の『東のエデン劇場版I The King of Eden』はテレビで放映された11話に繋がるストーリー。日本中に打ち込まれた60発のミサイルから日本を救った主人公・滝沢朗。日本は救われた…にも関わらず国際社会から「日本は自殺を試みた国家」と揶揄され信頼は失墜。滝沢はいつの間にか姿をくらましたものの、日本を救ったヒーローとしてニートから「AIR KING(撃墜王)」と呼ばれ、反抗の象徴として祭り上げられる…。自ら「この国の王様になる」ことをJUIZに以来した滝沢の行方は。日本の未来は。100億円ゲームことセレソンゲームの勝者は。そして「王様になる」とはどういうことなのか…。先に言っておきますが『劇場版I』で提示されるのは結末へ向かうためのヒントだけです。結末は『劇場版II』で…。

さてこのエントリーでネタバレするわけにもいかず、かといって何も論じないわけにもいきませんから、この作品がテーマに扱っているものをピックアップしていくことにしましょう。

本当に魅力的な人に「※ただしイケメンに限る」は関係ないよな(悔しいけど…)

この作品の面白いところは主人公・滝沢朗の持つ「カリスマ的魅力」を100億円ゲームの攻防、そしてもう一人の主人公・森美 咲との恋愛模様の中で描いているところであります。滝沢は「王様になる」と言ってのけるほどの人物ですから少なくとも普通の人間ではない、ある魅力を持った人と言えるでしょう。人間の魅力というのは容姿であったり、ステータスであったり、お金であったり。で、滝沢の持っている魅力とは何かといえば「人柄」なんですね。全裸に拳銃という最低な出会い方をした滝沢ですが、あっという間に咲の信頼を得てしまいます。疑いの目を持った携帯サイト・東のエデンの代表である平沢や偏屈プログラマー板津、そして敵であるはずのセレソンすらも惹き付けてしまう彼の人柄の良さは、やはり咲とのやり取りの中に多く見られます。劇中にもしばしば二人を巡る少女マンガ的なシーンが展開されますが、これが男の私もキュンキュンしちゃうわけ。滝沢の人柄の良さというのは "心遣い" という言葉に集約されるでしょう。やさしさ、ポジティブさ、いたわり…いやあ私が女の子だったら絶対惚れるわ〜。てか男の今でも惚れるわ〜(…いや、変な意味じゃないですからね)。二人のロマンスは硬派なこのアニメの中のエンターテイメント的役割でもありますが、滝沢朗という人物の説得力を上げる、効果的なシーンでもあるのです。

ニート、それは反抗と安定の狭間で戦い続ける人種。

このアニメがリアルでありながら普通のアニメやドラマでは取り上げられない点、それは「ニートの肯定」です。社会的にもニートは邪魔者としてしか扱われることはありませんでした。しかし彼らの怠惰な行動は図らずも「上がりを決め込んだ勝手な年配の世代に対する反抗」になのではないか、このアニメはこう切り込みます。己の保身しか頭にない上の世代に従わず、ニートであり続けること。これこそが「日本を改革する方法の一つ」というわけですね。しかしニートであり続ける、というのはそう楽なことではありません。多くのニートは親というパトロンが居なくなれば "失業" してしまいます。"ニートの楽園を作る" と息巻いていた携帯サイト・東のエデンのスタッフ一同も、起業し事業を大きくしていく中で、自分たちが嫌悪していた「上に居座る大人たち」に近づいていることに気がついてしまいます。この『劇場版I』でも印象的なのは、凄腕ニートプログラマーである板津がエデンスタッフに向かって「うまいものを食おうとしたらニートじゃなくなる、ニートはカップラーメンを食って生きてるもんだ!」と力説するシーン。安定と、反抗。どちらにも寄り切らず、フラフラしながら生きるニートであり続けることは、果たして可能なのだろうか…?可能だとすればニートがニートとして生活しながら、何らかの "生産活動" が行われることなのでしょうが…。

やがて見えてくる「この国の王様」の正体。

(ここからちょっとテレビ版ネタばれ注意)

この物語の結末はまだわかりません。ただし薄らと終着点は見えています。テレビ版のエピソードでは、滝沢は60発のミサイルを撃ち落とす過程で、ノブレス携帯、そしてJUIZの力を最大限に引き出す方法を見つけています。2万人のニートの発想をネットを使い収斂し、さらに選別された事案を、JUIZの力で実行する。これぞ "究極の執政"。つまりこれを拡大したものを恒久的に続ける仕組みを完成させること、それがおそらく滝沢が考える「この国の王様になること」なのではないか…。では具体的な王様の姿とは一体何か。本当に王様になることは可能なのか。それは『劇場版I The King of Eden』、そして続く『劇場版II Paradaise Lost』で明らかになることでしょう。

「東のエデン」は人々の中から希望の光が消え、諦めの空気が支配した「諦観のゼロ年代」の終わりに相応しい作品です。そして『劇場版II』と共に新しく始まる「10年代」はどんな時代になるのでしょうか。再び "失われて" しまうのか、それとも。神山監督がどんな回答を見せてくれるのか、楽しみでなりません。

この作品に頻出する言葉「ノブレス・オブリージュ」は「持てるものの義務」という意味です。義務を負うのは何も王様だけではありません。人間一人一人が他の人にはない力を持っているんですから、誰しも「持てるものの義務」を負っているはずです。日本を救うのは一人一人の力が協力し、時にぶつかり合うことで生まれるエネルギーではないでしょうか。…それじゃあやっぱり最後はお約束のやつを。

"ノブレス・オブリージュ。今後も救世主たらんことを。"

「空気人形」 - 僕ら人間、心なんて持たないほうがよかった。よかったんだよ。

2009.10.13 Movie

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まず一言言わせてくれ。「ペ・ドゥナたんカワユス」

是枝裕和監督最新作 映画『空気人形』 公式サイト

この映画は心を持ってしまった空気人形(おとなの男のひとが使うタイプのね。)のお話。普段このブログでは「ザッツ・エンターテイメント」的な映画を主に紹介していますが、この「空気人形」は比較的たんたんと進む「見る映画」です。映画的カタルシスを楽しむというよりも、美しい絵と優しくてほろ苦いストーリーをゆっくり堪能する映画と言えるでしょう。

まず何よりも最初に言っておきたいことは、ペ・ドゥナたん(気持ち悪いと思われるかもしれませんがあえて私は "たん" 付けで私は呼びたい)が殺人的にかわいい。これ、容姿云々とかそういう問題じゃないんです。てくてく人形歩きする仕草がかわいい。たどたどしく発する言葉もかわいい。その様子はまさに人形そのもの。イノセンスの塊、空気人形というおとぎ話のヒロインを見事に演じきっています。この映画の魅力の半分を担保しているといっても過言ではないです。

で注意点なんですが、性的な用途の人形である以上、どうしてもそういうシーンとは切っても切り離せないのがこの映画(ちなみに15歳以上じゃないと観れないぞ☆)。なのでペ・ドゥナたんの "全体像"(主に上の方、ね)がだいたい見えちゃってます。が、人形の演技に徹しているからか、不思議とそんなにいやらしくない。女の人が見てもそこまで抵抗は無いんじゃないかなと。twitterでも女の人の方が多く観にいっている印象ですしね。個人的には空気入れを使って自分で空気を入れているシーンがセクシーでよかったです。なんだか不思議なセクシーですが。

また空気人形の持ち主を演じているのは板尾創路さん。もの言わぬ空気人形を心の支えにする男性の役。どこか上の空で、まっすぐ前を向いていない演技がとてもよかった。あとサマーウォーズで気丈なおばあちゃん役を演じられた富司純子さんも出演されてますね。

心を持ったことは幸せだったのか、それともこんなもの持つべきじゃなかったのか。

以前私はロボットと人間の決定的な差のお話をしました。ロボット(人形)には人間が持つ心がない、だから両者の溝は埋められない。じゃあ実際に人形が心を持ったら、どうなるんだろう?

心を持った空気人形である彼女は、自分の意志を持って持ち主の家を飛び出す。彼女が初めて触れる世界には、驚きと美しさに満ちあふれている。これは心があるから感じられる世界。そして持ち主以外の人とふれあうことで、人は傷つきながらも歳をとること、人も自分と同じで空っぽだということ、そして人を好きになる気持ちを学んでいく。どれも心があるから、感じられること。心とはとても尊い存在。しかし今まで相手に何をされても感じることの無かった嫌悪感や、人を裏切る罪の気持ちも感じるようになってしまいます。心は面倒な存在。

そう。もしかしたら心なんかない方がよかったのかもしれない。心を持った人形なんて、人間と変わりないじゃないか…!! そもそも彼女の持ち主は、人間みたく面倒じゃないから人形を選んだのに。悲しいことだけれど、男の人はどこかでそれを望んでいる部分があるのかもしれない。もし人形相手に好きなことをして、好きなことを好きなだけ喋れたらどんなに楽だろう。もし何もかも捨て去ってラブプラスに没頭し続けることができたらどんなに楽しいことだろう。私だったら寧々ちゃんと…いやいやラブプラスの話は置いておいておくにしても、なんだこれで十分満足じゃん。

心が擦れ合って痛いから、生きてるって感じてる。

そうだよ人間の "代用品" でいいんだよ。心なんて最初からいらなかった。いらなかった。 だから物語の中で空気人形が苦しいときには、心の中で自分が性欲処理の "代用品" であることを言い聞かせる。人形なら何も感じない、何も苦しむこともない…。しかし "代用品" ではない心を持った人間は、心を通わせるが故に人を傷つけてしまうし、傷つけてしまう。お互いを想う気持ちが深ければ深いほど、心のコアに近づいていく。「ゼロ距離射撃」に近づいていく。痛みを感じながら、人を傷つけた罪の意識に耐えてまで、人は心にこだわる必要はあるのか?

ある。自信を持ってあると言える。なぜなら心が擦れ合わなければ人は変わらない。自分が変わらなければ、見える景色は変わらない。美しい景色は移り往くから価値がある。美しいものは朽ちていくし、朽ちていくから美しいと言える。そしてそれが人が歳をとるということだという。逆に空気人形の持ち主の部屋を見れば彼の幼さに気がつくはず。身をすり減らしても前へ進む、これが生きることだとこの映画は訴えかけている。

しかし最近涙もろくなったと思いますが、本当に苦しいと涙も出ないんだということに気がつきました。この映画はかわいくて美しいものだけど、正直言って私にとっては苦しかった。特に私が男だったからかもしれません。どうしても内省的な気持ちになる部分もあります。「空気人形」は小さなトゲのように胸に痛みを残しながら、我々の生きている世界はどんなに素敵かを教えてくれる映画であります。

(※ごめんこんだけ話しておいて私ラブプラス持ってないんだぜ…)

サマーウォーズのアバター配布キャンペーン。どんどんソーシャルでいきましょう。

2009.08.13 Movie

最近Twitter上で必要以上にサマーウォーズをプッシュしてるフクオカさんですこんにちは。先日のエントリーで十分書いたじゃん、と言われそうですがそれでも伝え切らないんですよ本当に。アニメを普段見ない人はなんだ所詮アニメかと思うかもしれませんが、家族で楽しめる子どもだましじゃないアニメはジブリだけじゃないんです。どうせア○フィ観に行くくらいならこっちをm(以下略)。そして日テレさんは来年から毎年夏に金曜ロードショーで放映してください。これからはトトロ、蛍の墓、サマーウォーズでお願いします。

そんな「満足度驚異の96%! (ワーナー・ブラザーズ映画出口調査より)」という看板を掲げたサマーウォーズ公式サイトにこんなコンテンツが。

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映画「サマーウォーズ」公式サイト|プロフィール用画像ダウンロード

劇中で登場するアバターの画像をぜひmixiやTwitterの自分のアイコンとして使ってください!!というコンテンツ。海外の映画の宣伝サイトではメッセンジャーサービス用のアイコンを配布してたり、最近ではハリーポッターの最新作の宣伝にもTwitterが利用されています。日本でしかもソーシャルサービス向けのアイコン配布というのは珍しいのではないでしょうか。壁紙や待ち受け画面配布ではその人が満足しただけで終わってしまいますが、ソーシャルサービスであれば人のつながりの数だけ目につく機会も多くなる。特にこの映画自体もソーシャルサービスを舞台としていますから、イメージもぴったりでしょう。

ちなみにソーシャルに狙いを定めたコンテンツはこれだけでなく、本編の映像の冒頭5分間丸々ノーカットをYouTubeにアップしていたりメールやブログに貼付けるための画像をわざわざ用意しています(私はこれかな。時かけのマコトと同じく電話を持ったままびっくりしてるカットを使用)。

今更言うまでもないでしょうがソーシャルネットワークでは伝播させるための魅力的なネタがあり、影響力のある人物からその情報が流れることで広まります。いろいろとネタを打ってはいますが、むしろサマーウォーズに関しては映画自体の面白さが「ネタ」になってますね。現にTwitter上ではここのところこの映画の感想が次々に書かれ、フォローしている人たちにその感想が「配信」されています。非常にポジティブな反応が多いです。私の観測した範囲でもそれに促されて観に行こう思う、と書き込んだユーザーの方が何人かいらっしゃったようです。監督の前作「時をかける少女」は全国で21館での上映という、小さなスタートから始まりました。それがいつしか口コミによって評判が広まり、最終的には9ヶ月で100館を超える映画館での上映へと発展しました(Wikipedia参照)。それに近いことがソーシャルネットワークを通して起こるのかもしれません。これから手を打っていくとしたらやはり感想のストリームを巻き起こす方向でしょうかね。

あの夏休み観たのはやはりこんな映画だった。「サマーウォーズ」

2009.08.03 Movie

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ただただ文字に起こしてあの楽しさが説明できると思うか?

以前に女の人が観ても大丈夫なアニメ映画はこれ!!という記事を書きましたが、その中でも紹介した「時をかける少女」の細田守監督最新作、「サマーウォーズ」。公開初日の8月1日からさっそく観てきました。「破」のエントリーでtats君に怒られたので今度こそ極力ネタバレなしで書くよ!! 書きたい!!

2010年。携帯・パソコン・ゲーム機…あらゆる情報端末からアクセスできる「OZ」というmixiとセカンドライフをごちゃ混ぜにしたサービスが全世界的に普及し、あらゆる生活の基盤を担っている世界。数学オリンピックの日本代表(になり損ねた)いかにもイケてない男子高校生・健二は、あこがれの先輩・夏希から「おばあちゃんのお誕生日会をお手伝いするだけの簡単なお仕事」を依頼される。二つ返事で承諾してしまう健二だったが、実は「病気がちなおばあちゃんを気遣って夏希のフィアンセのフリをする簡単じゃないお仕事」。当主で90歳のおばあちゃん・を中心とした陣内家の家族親戚ご一同様に囲まれながらもなんとか任務完了。宴も終わった次の朝、テレビではOZの大規模システム障害のニュースが放映されていた。障害を引き起こしたの容疑者の写真はどう考えても見覚えのある顔。なんてったってそれは…


いや、このブログだと、作品のテーマを抽出して、それを軸に一本エントリーを仕上げるのがいつもの流れなんですよ。テーマをそれらしく膨らまして、自分の視点で書いていくという。今回もそんな感じで書いていこうと思ったんだけど、やっぱやめた。CMでも言っている通りこのお話には、家族や親戚の絆、ネットの脆弱性と可能性といったものが織り込まれているんです。でもね、そこ広げたってこの映画の魅力はぜーんぜん伝わらないと思うんですよ。

一言で言うことこの映画は底抜けに楽しくて、ポジティブで、爽快な夏休み映画なんです。私はセンター北の映画館で見ましたが、上映時間ずっと笑い声が絶えなかった。私自身もニコニコしっぱなし。きっと他のお客さんもそうだったんじゃないかな。アニメ映画で個人的には初めてです。こんな経験。

誇張でなく本当に表情豊かな家族たち

この映画は陣内家がある長野県上田市と仮想世界OZを行ったり来たりするわけですが、OZ上の表現はアバター(実際にはこんな感じ)が担当することになります。で、アバターの演技は表情が限られてしまう(それでもめっちゃいい動きをしているんですが)。さらに困るのは世界中の声がテキストとして画面に表示されてしまうこと。Twitterのような感じですね。映画内で文章で説明するのって基本的にNGだと思うんです。図らずもOZを表現することがどうしても映画的にドライなものになってしまう。

その反動もあってか、現実世界の陣内家の人々、そして健二の表情や演技は非常に豊かに表現されています。時にあまりにまんが的すぎるかなというときもあるくらい。実際人間一人のときとたくさんの人がいるときではリアクションの数も大きさも違うでしょう。だから家族は楽しいんだよね。怒り泣き悲しみ喜び笑う。目まぐるしく変わる表情こそがこの映画一番の見所じゃないでしょうか。主人公である健二くんが "内気な少年" なので「なんだまたシンジか…」と先入観をもっちゃう人も多いようですが、映画が進むにしたがって、少しずつ凛々しく、そして家族と打ち解けていく。そもそも親戚ってすごいアバウトなつながりだったりするよね。赤の他人も結婚したらいきなり親戚になっちゃうわけだから。だからなろうと思えばいくらでもなれるものだし、親戚の輪に入っていれば健二も自然と親戚になっちゃうんだよね。それが表現されているのがただの内気な少年じゃない、健二くんの特徴と言えましょう。

西に冴えない青年がいれば東にしゃきっとしたおばあちゃんあり…

その主人公・健二の声は神木竜之介くん。「なんだまた芸能人か…」ってみんな言いそうですがこれがまたいいんだ。すごい冴えない感じで。…いやこれむっちゃ褒めてますよ。うだつの上がらない感じが健二にぴったり。中でも一番いいなと思ったのが、一族の長・栄に夏希のことをお願いされるシーン。お願いされたからには男子たるもの大声で「はいっ!!」と言えばいいものを、うまく言えない。何度か大きく域を吸い込んで言おうとするんだけど結局下を向いて「がんばってみます…」とうなだれてしまう。あーもう健二くんわかるわかるよこの感じ!! もうおじさんなんかこんなのしょっちゅうだったから。健二くんの「イケてない表現」はバツグンにいいんです。で、吹っ切れるときもなんか弱々しいんだよw CMでも流れてる「よろしくお願いしまーす!!」もダメな奴な感じがしていいよね。でもそんな人が必死でがんばってるからこそ胸を打つんですよ。

そして忘れてはいけないのが陣内家当主、90歳のおばあちゃん栄。この映画の主役とも言えるわけですが、実に素敵な人物。特筆すべきはは世界の混乱を前にして、自分のあらゆる知り合いに片っ端から黒電話を使って励ますシーン。栄は政財界ともつながりがあり、知事褒章までもらっている実はすごい人、という設定があるので「だから偉い人とつながりがあるからできるんでしょw」と思うかもしれないけど、いや実際にできることじゃないよこれ。このワンシーンが行動力と人徳を兼ね備えた彼女の性格を見事に捉えているし、なぜこれだけ親戚のみんなが彼女のことを慕っているかという理由付けにもなっている。お見事。

あの夏休みに観た映画みたいに

ヤバい、ネタバレがちょっとずつ始まってしまった…。まだまだっ書き足りないんですけど、ここら辺にしないとみんなが引いていくから。コンピューターっていうのは結局力押しでしか物事を解決できないよね、とかヒロインの夏希は「かわいくしないとかわいくならないタイプ」だよね(だがそれがいい)とか、数々の子ネタ・コント的な展開とかもう書ききれないくらいあるんですよ。その一方で確かに荒削りな部分もある。でもこれだたくさんの要素をパンク寸前まで詰め込んで、それでも一本の映画にきれいにまとめた細田監督は素晴らしい。今、テーマ語りの部分を少し潰してでもエンターテイメントの要素に振れる人ってなかなかいないんじゃなかろうか。だからサマーウォーズはいい意味で典型的な「夏休み映画」なんです。

ほら、子供の頃、お父さんやお母さんに映画館に連れて行ってもらったことがあったでしょう。映画が終わったあと喫茶店でパンフレットを見ながら、あの場面が楽しかったね、とか話したり。あのとき観た映画と同じ楽しさがサマーウォーズにはありました。

私は一人で観に行っちゃいましたが、皆さんはぜひ家族で観に行ってください。私も家族と観に行きたかったなぁ(観たいって言うかは知らんけどねw)。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 - そこに、確かに愛情はあった

2009.07.01 Movie

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 - そこに、確かに愛情はあった

戦うこととは痛みを感じること。少年たちの叫びが胸に突き刺さる。

先日のエントリーに引き続き、現在公開中の「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」にお話を移しましょう。前作「序」では非常に狭い範囲で展開されていた物語が一気に拡張されるのが今回の「破」です。主人公たちが戦う怪物「使徒」も続々登場し、アスカ、マリといった新しいエヴァンゲリオンのパイロットも参戦。「破」というタイトルに相応しく、大迫力の戦闘シーンが次々に描かれます。この「破」では使徒もエヴァもなまめかしい、気味の悪い、とてもこわい存在として描かれていることが多くなりました。特に今作では使徒はさらに奇異な存在になっています。例えばもし仮に敵がロボットだったら銃口からビームが出るんだろうな、とか想像がつくわけですが、この世界では「誰もが初めて見る正体不明の生き物」であり、どんな風に攻撃するしてくるのかは誰もわからない。それ故に観客もハラハラしっぱなし。ですから戦闘シーンも工夫があって見飽きません。「えーそこが伸びるってそんなのアリなん!?」なんて驚きの連続になるわけです。人類と使徒の知恵比べは更に進化します。

そんな何が起こるかわからない恐怖と戦うエヴァンゲリオンの戦闘シーンの大きな特徴は、主人公たちが痛みに耐えながら戦うところでしょう。例えばガンダムだったら仮にガンダムに弾丸が当たってもパイロットは痛みはそう感じないでしょうが、エヴァの場合エヴァ自身とパイロットの感覚がリンクする仕組みになっているため、エヴァが殴られれば同じようにパイロットも痛みを感じてしまう。苦しさのあまり絶叫しながら、それでも彼らは怪物に戦いを挑む。私は映画を見ながら何度も「やめろよ、そんなに辛いならやめてくれよ」と思いました。苦しくて苦しくて、気がつくとポップコーンの容器をぎゅっと抱きしめすぎてベコベコになっていたくらい。もしかしたらこれはアスリートを見ている気分に近いかもしれません。足を引きずりながら、一歩、また一歩とゴールへ近づこうとするランナーのように。痛みに叫び、悲しみに耐え、時に人であることを捨ててまで戦う姿に、打ち震えてしまうのです。

うまくなくても、ケガしても、あなたに食べてほしいから。

序ではシンジ君とミサトの「上司と部下」、シンジ君とレイの「同じ職場で働く仲間」という関係が築かれていく過程を描きました。破は職場よりも外の世界、「人と人との繋がり」がテーマです。

今作の大きな特徴の一つに、「料理を作る」シーンがあります。一人暮らしが長かったシンジ君がミサトや友達に得意の料理を振舞う。前作ではミサトやレイから受け取る側であったシンジ君がついに与える側にまわる、結果的にシンジ君が作る料理は思わぬ反応を引き起こします。レイもアスカもシンジ君のために料理を作ってあげようと思い立つのです。

コミュニケーションが始まる最初のきっかけはいつも「与えること」から始まります。与えることとは別の言い方をすれば自分が損をすること、とも言い換えられます。与えたものが正しく受け取ってもらえなかったらどうしよう、値踏みされたら、無視されたら…。「何故身を切って与えている自分が損をしなければいけないのか。ばからしいじゃないか」今までのシンジ君はそう思うあまりに人を拒絶し、独りで生きる自分の中に安息を見出していました。しかしコミュニケーションをとるということは自分が抱えるであろう痛みも受け止めなければなりません。劇中でレイとアスカの二人がお互いの手に包丁でけがをしたのか、絆創膏が貼られていることに気がつくシーンがあります。人と触れ合うことは自分が傷つくこと。確かにそのその通りです。慣れないうちは思わぬところで傷を負うものです。

そうして傷つくのが怖いから。今までのエヴァンゲリオンでは、自分を守る心の鎧を着たまま、いかにうまくやっていくか、そこまでしか描かれませんでした。それも一つの答えです。でもそれで終わっていいとは私は思いません。自分が傷つかないことが最も大切なことなのでしょうか。大切なのは、立場ですか。体面ですか。プライドですか。「自分の居場所」ですか。いや違うはずです。最も大切なものは、嘘偽りのしようのない自分の気持ち、願望なのではないでしょうか。「自分がこうなりたい」「相手にこうなって欲しい」という願い。それこそが潰してはならない、最も守らなければならないものではないのでしょうか。シンジとその仲間たちは、ぶつかリながらもその気持ちに気がついていきます。手を怪我しても伝えたいこと、かなえたいことが彼らにはある。序で感じたわずかな優しさと愛情は、もっとはっきりとした形で破にも現れます。料理には作ること、与えること、満たされること、食卓を通して人と人がつながること、全てが含まれているのですから。

居場所には代わりがある、でもあなたには代わりはいない。

ある事件をきっかけにシンジ君が死ぬ思いをしながら手に入れた自分の居場所、つまりエヴァのパイロット権限を剥奪されてしまいます。自分の信念を折り、素直に人に従っていれば、こんなことにはならなかったでしょう。でも彼は曲げなかった。パイロットの座を追い出した自身のの父親ゲンドウには「自分のほしい物は力ずくでも手に入れろ。大人になれ」とまで言われます。それでも彼は納得しない。彼は気がついていないけれど、もう彼が求めているのは自分の居場所ではないのです。そしていつの間にかシンジ君はエヴァの前に立っている。でも、彼がエヴァに乗る理由はもう、誰かに褒められるためであったり、認められるためじゃない。目の前で苦しんでいる仲間を助けるために、いやもっとシンプルでストレートな気持ちだ。あなたと一緒にいたい。そう叫びながら彼は自分から、手を差し伸べるのです。ここがシンジ君にとって、生まれて初めての、自分から人の心に触れようとする行為。例え心が閉じられようとしても彼はひるまない。今の居場所を捨てたって構わない、代わりになる自分の居場所はいくらでもある。でもあなたに代わりはないのだから。

自分の願いに純粋であるということは時に、わがままで、粗野。ゲンドウの言う通り、大人の生き方じゃあない。これまでのシンジ君がしてきたのは、如何にして気持ちを潰すことに耐え、大人として生きれるようになるか、ということです。大人として生きることもいい、でも私は絶対に本心を潰してはいけないと思うのです。本心こそが人間の強さであり、人間の生きる核を担うものなのです。You can (not) advance. 副題にもある通り、シンジ君は大人になれなかった。でも、全てを振り切り自分の本心を吐露するシンジ君はかっこ良かった。シンジ君のことをかっこいいと思ったの、はじめてだよ。何感動させてんだよ、バカシンジが。

なんかいろいろ言われるかもしれない。けど好きだ。

正直に言うと、これまでおおっぴらにエヴァンゲリオンのことを言及することをずっと避けていました。自分が心のどこかで嫌っている作品について話すのは気分が良くなかったし、やっぱりこの物語を許せないところがあったから。いやもっと言えば自分が「オタク的」に見られるのが怖かったし(いや、どうかんがえても十分オタクなんですけど、それでもね。変なプライドですよ)、このアニメのこと語るのを恥ずかしいと思ってたから。でもね、恥ずかしげもなくはっきり言いますが、私この映画のこと好き。なんだかもうね恋に近いよ。考えたらずっと意地悪されてたのに急に優しくされたから、そのバイアスがかかってるのかもしれません(言い方は悪いですがDV被害にのめり込んでいってしまう人のような…)。だから、この文章を書き始めてからおよそ1週間、ずっとこの気持ちは本当なのか、探っていました。でもやっぱり本当な気がする。上映が終わったあのとき、好きだと感じた気持ちに嘘偽りはないもの。

だから改めて。この映画のこと好きです。自信を持ってお薦めします。いろんな人に見てもらいたい気持ちだから、このエントリーを書きました。読んだ人になんと言われるかはわかりません。自分の思った通りに正しく伝わっているかも不安です。でも自分のただ正直な、一番伝えたい気持ちを記しました。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 - それは14歳の少年が働く物語

2009.06.27 Movie

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11年前からのエヴァへの愛憎、そして氷解

今から11年前、私が中学2年生の時に初めてエヴァンゲリオンを観ました。その時私はちょうど14歳、このお話の主人公である碇シンジ君と同い年。まさに「エヴァブーム真っただ中の世代」と言えるでしょう。当時の私はこの作品の表現に衝撃を受けたと共に、一方ではエヴァのセクシャルな部分が受け入れられず正直嫌っていた部分もありました(ま純情な中学生ですからそういうものだと思ってください)。私にとって「スキ」と「キライ」がないまぜになったもの、それ故に常に気になる存在、それがエヴァンゲリオンでした。

2年前、これまでのエヴァンゲリオンをリメイク、再構築した映画、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」が公開されました。新しくリメイクされた映画「序」を観て、この作品の面白さに改めて気がつきました。新しい映画は当時のエヴァンゲリオン以上に、確実によい作品になっています。そして今日から一連の連作の続き、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」が公開されます。それに合わせて「序」を改めて振り返りながら、エヴァンゲリオンとはどんなお話なのか、改めて考えようというのが今回のエントリーの趣旨です。「序」を見ながら当時の映像との違いにも驚きましたが、それと同時に14歳当時から自分自身が大きく変化したことにも気がつきました。その中でも最大の変化、それは「自分が仕事に就いたこと」でした。

もし14歳当時のあなたが今の職場で働いたら

この作品は事細かな設定や人間関係が膨大な量含まれているため、一体どんな物語なのか、よくわからない人も思いますので導入部分の説明をば。


主人公・碇シンジは、離れて住んでいた父、ゲンドウから突然呼び出される。父の愛を受けずに育ったシンジは父のことが、苦手だったが、それでも自分のことを必要としてくれているならばと思い単身"上京"する。

時を同じくして、日本に"使徒"と呼ばれる巨大な怪物が現れる。抗戦する自衛隊。しかし全く歯が立たない。使徒は確実に東京※1に向かっている。

父のもとにたどり着いたシンジ。しかし彼の目の前に現れたのはエヴァンゲリオンと呼ばれる使徒と戦うためのロボット※2であった。ゲンドウは使徒と戦うための組織NERV(ネルフ)の最高責任者だった。エヴァ
ンゲリオンは14歳の選ばれた少年・少女でしか操縦することのできない特殊な兵器。ゲンドウは実の息子をこの兵器に乗せ、戦わせるためにシンジ呼び出したのだ。予期しない要求に父への怒りが隠せないシンジは
エヴァンゲリオンに乗ることを拒絶する。あんな怪物と戦ったら死んでしまうかもしれないのに…。お前が乗る気がないのならば、とゲンドウは代わりのパイロットとして傷だらけの少女を呼び出す。使徒と戦わなければ人類が滅ぶ。「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ…」全身を貫く痛みに顔を歪める少女を前にシンジは決心して叫ぶ。

「やります。僕が乗ります」


エヴァンゲリオンは多くの謎と陰謀が渦巻く実に複雑な物語ですが、シンジ君の視点から見ると非常にクリアーなものです。つまり「14歳の少年が大人たちの中で働く物語」。彼がしていることは中学生として生活しながら、しかも命をかけて怪物と戦う、負ければ人類が滅んでしまうという重い仕事です。父親に認められたい、そう願う一心から彼はパイロットとしての仕事を果たしていきます。が、時に彼は職場での人間関係や自分にのしかかる責任の重さに耐えられず逃げ出してしまうこともあります。自分の状況に対して卑屈になり、閉じてしまう。上司に歯向かう。かんしゃくを起こす。それを見て「うはwwwこいつどんだけヘタレなのwww」と彼を笑う人もいるでしょう。

しかし私はそうは思いません。例えばもし14歳の自分が、14歳のあなたが、今の職場で働くことになったら…今の自分とと同じように働けるでしょうか。14歳、まだまだ大人とは言えない、でも大人が少しずつ見えてくる時期。しかしまだまだ多くの経験が不足しています。人との接し方、仕事の運び方、自分の目標、…。この状態で満足に仕事をこなすことは難しいかもしれません。いや、年齢に関係なく時に仕事が辛く、逃げ出したくなる気持ちになることは誰しもがあることではないでしょうか。入社してすぐに辞めてしまう社員が増えた、なんてニュースを度々目にします。そう言う私だって辛いこともあります。時に卑屈な気持ちになることだってあります。シンジ君はこれまで一人で自分の心を守り、生きてきた人間です。そんな彼でも働くことで自分では守れ切れないくらい辛い思いを抱えていきます。怒られるかもしれない。否定されるかもしれない。死ぬかもしれない。それでも、彼は再び立ち上がるのです。みんなが思う以上に彼は強い。

働くこと、それはその場所で自分の居場所を見つけることとも言えます。ご飯を食べていくためだけに仕事をしているとしても、なぜその組織の中で働き続けているかという理由にはなりません。別の場所で働いても何ら問題はないはずです。よって自然と自分がこの組織で働く意味や価値を見いだしていくことになるでしょう。シンジ君の場合も、文字通り「死ぬほど辛い思い」をしてまで手にしたいものは自分の居場所でした。自分を信じてくれる人がいる、これ以上の居場所はありません。彼が再起する理由も「逃げちゃダメだ」という自分を脅迫的に動かす気持ちから、やがて一緒に働く仲間や上司のために仕事を完遂しようとする気持ちに変わっていきます。人類の存亡のためとか、そんな大それたことは実感がわかない。でも自分を必要としてくれる人、つまり上司(ミサト)や同僚(レイ)のためにエヴァンゲリオンに乗る。これが自分の居場所を作るために彼の見つけた「仕事」でした。

自分も働くようになってから、シンジ君の見つけようとしていた道に自分も足を踏み入れていたことに気がつきました。私は仕事がそんなにできない人間ですが、それでも自分を信じてくれる人のために力を使えていることに深く感謝しています。自分の居場所がある、こんなに嬉しいことはありません。やっとその価値がわかったからこそ、エヴァンゲリオンの物語はいとおしく感じるのかもしれません。働くことが「うまくなかった」少年が、自分に課せられた責任を果たしながら、組織の中で働く意味を見つけていく、それが「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」の、シンジ君の物語です。

今回の映画には愛がある気がする

リメイクされる前の、今までのエヴァンゲリオンで私が最も嫌だったこと、それは「愛がなかったこと」です。いや、愛って言われてもって感じですし、そもそも愛って何さって話になりますが、何となくなかった気がするんです。このお話には多くの人が登場しますが、誰かの愛を誰かが受け止めることはほとんどなかったように感じています。投げても投げても、すかっ、すかっと、空を切るような。だからこその人と人との心の壁、コミュニケーションのすれ違いをテーマにしたストーリーができたとも言えますから大きく否定することはできませんが、それでもどこか虚しい。言いたいことはわかります、でも正直過ぎてあまりにも苦しいのです。どこにも希望がない物語を子どもたちに見せるのは私はあまりいいことだとは思わないのです。

「序」は過去のテレビシリーズの内容ほぼそのままの物語が展開されています。でも、何かが違う。シンジ君の上司であり、同居人でもあるミサトとシンジ君の言動の中にそれを少し感じます。空中キャンプの方も書かれていますが、エヴァに乗る決心がつかないシンジ君をミサトが「自分たちが命をかけて守っているもの」の場所まで案内するシーンで、シンジ君とミサトが手をつなぐシーンがあります。ミサトが一方的に手をつかんで引っ張るのではなく、二人の手のひらが合わさり、お互いがしっかりと握り合った「手つなぎ」です。おそらく、今までのエヴァの映像の中で唯一、愛が受け取られた瞬間だったのではないでしょうか。愛と言っても色恋のそういったものではなく、愛情というか、博愛というか、思いやりというか…そう言った類いの愛。そういったものがこれからの続編にも表現されていくのであれば、私が「嫌いにならない」エヴァンゲリオンになるのかもしれません。


ちなみに「序」は7月3日の日テレ・金曜ロードショーで放送されます。興味がある方はぜひ。「おとなもこどももおねーさんも楽しんでみれるいいアニメしか紹介しないぜ!!」がポリシーの当ブログでは過去のテレビシリーズ・劇場版はお薦めすることはできません。でもこの「序」は間違いなく、自身を持ってお薦めできるものだと思います。


※1 わかってます。第三新東京市です。
※2 わかってます。汎用人形決戦兵器・人造人間です。
プロの厳しい突っ込みはコメント欄にお願いします!!

あなたにはヒーローと怪獣の見分けがつくだろうか?『ウォッチメン』

2009.04.12 Movie

あなたにはヒーローと怪獣の見分けがつくだろうか?『ウォッチメン』

ウルトラマンは本当に正義の味方なのか

僕らはウルトラマンが正義の味方だと知っている。ウルトラマンは地上で暴れる悪い怪獣をやっつけてくれる。ありがとう、ウルトラマン!! …だけど誰もが一度は考えたことがあるはず。ウルトラマンだって戦いながら街破壊してんじゃん。しかも暴力で戦ってんだったら人間と同じじゃね?じゃあ正義と悪、その差は、何?

正義が見えない世界で、ヒーロー達が到達する「正義のかたち」とは

映画『ウォッチメン』オフィシャル・サイト~2009年3月28日〔土〕より 丸の内ルーブルほか全国ロードショー

(映画の結末にソフトタッチしていますので注意)

ニクソンがウォーターゲート事件を機に辞職した現実とは異なり、ニクソンが大統領選に再選している架空の歴史(タイムライン)が映画「ウォッチメン」の舞台。ウォッチメンとは歴史の陰で活躍したヒーローたちのこと。どうやらケネディ大統領暗殺もウォーターゲート事件もみ消しもベトナム戦争の勝利(我々の世界では真逆だけど)も、ウォッチメンの手によるものだというわけだ。確かに、ある人にとっては正義の味方かもしれない(例えばそれは一部の政治家であったり)。しかしある人にとっては正義には到底見えるものではない。圧倒的暴力によって問題解決をするウォッチメンを市民達は疎ましく思うのも当然だ。ウルトラマンに自分の家を踏みつぶされた人の気分、と言えばわかるだろう。政治家に汚され、市民からは嫌われていくかつてのヒーロー達。もうこの世界にヒーローの居場所はない、とでも言うかのように、第一のヒーロー殺しが起きるのだった…。

私が物心がついた頃には終結していた、「冷戦」と呼ばれる戦争。アメリカ、ソ連合わせて何万発という核弾頭が向き合い、絶妙な均衡で発射ボタンが押されないというヒリヒリするような状況。もし仮に、一度でも発射ボタンが押されれば、人類は滅亡する。考えてみればバカな話である。自分の命を守るためにこしらえてきた軍備が、いざ使う段階になったら自分の首を絞める方向にしか働かないのだから。ウォッチメンの面々は仲間殺しの犯人を追いつつ、このジョークみたいな本気の人類滅亡の危機とも対峙せねばならない。…しかし、ウォッチメンは考え込んでしまう。いったい誰と戦えばいいんだ?ソ連か?それともアメリカか?どちらにしろ解決にはならない。映画の結末に触れることになるが、劇中では結果的に核戦争は回避される。この「回避されるきっかけ」になるシーンに私は唸ってしまった。映し出されたイメージが間違いなく911を表現していたからだ。冷戦は終わった。確かに平和はやってきた。しかしそれでも世界から暴力が消える気配はない。また別の姿をして我々の街に現れるのだ。怪獣の姿なのかウルトラマンの姿なのかはわからない。正義と、また別の正義が戦い続けなければならない世界が果てしなく続くのだ。

抜群の映像表現とズルすぎるBGM

映像表現はさすが「300」の監督らしく、ド派手でバイオレンス満載の仕上がり。血がびゅんびゅん飛ぶのは私は苦手ですが(いたそうなのが苦手なのです)、かなり決まってる映像なので見入ってしまいます。目立ったアクションシーンが少ないですが、見せ場もしっかりあります。映像的なおまけもちらほら。アップルの伝説のCM「1984」はかなりわかりやすいところにまぎれているのでぜひ探してみて。音楽のチョイスもかなーり最高。ボブ・ディランの「時代は変わる」を始め、ロックを中心に音楽に疎い私でも聞き覚えのある名曲をガンガンかけてくれます(この方の記事が詳しい)。私もサイモンアンドガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」がかかったときはあまりのわかりやすさに「それズルくね?」と思ってしまいました。もちろんグッときてしまったからですが…。

まとめますと上映時間が長いですが非常に大満足の一本であります。正義、という答えのない世界に踏み込んだヒーロー映画、…ってこれがヒーロー映画って言えるのか!? でもこれが本当のヒーローの姿なんでしょう。もしウルトラマンが自分が踏んづけた家のことを何とも思ってなかったら「おいてめえっコノヤロー!!」って言いたくなるでしょうそりゃ。そこに踏み込まないのが大人のマナーでしたが、華麗にそこを踏み越えていったのがこのウォッチメンなのですね。個人的にはこの映画を見ながら無敵超人ザンボット3を思い出しました。これこそ日本版ウォッチメンな気がします。

あそうそう、男子の皆さんに嬉しいお知らせですが、ヴァイオレンスだけじゃなくお色気シーンもちゃーんとご用意してあります。なんといいますか、今で言うところの、あの、OPV的なものが見えたりもするかもしれませんのでお楽しみに。ま、それどころじゃなく見えちゃってるんだけどな!!


関連リンク:
リチャード・ニクソン - Wikipedia
冷戦 - Wikipedia
世界終末時計 - Wikipedia

法則「流れ行く風景に人は郷愁を感じる」

2009.02.13 Web

AESTHETIC ECHO.COM

AESTHETIC ECHO.COM

trick7さんのエントリーでAESTHETIC ECHO.COMが紹介されていまして、それに乗っからせていただいてエントリーしちゃおうかなと。AESTHETIC ECHO.COMは流れ行く景色が自動生成されていくコンテンツ。

AESTHETIC ECHO .COM BY RAFAEL ROZENDAAL

現実離れした配色と、極限にミニマルな世界が、ただ、流れていくだけ。本当になんてことはないし、別段美しい景色が流れている、というわけでもない。だけど何か心に「引っかかるもの」を感じるんですよね。きゅーっと胸の奥が縮こまるような。これは懐かしさ、というか郷愁なのか何なのか。

これはきっとこの映像を脳が「知らない場所を走る電車から見た風景」のように感じているからなんじゃないでしょうか。子どもにとって一人で乗る知らない電車は期待と不安が入り交じった極めて特殊な乗り物です。そもそも電車は自分の思い通りに動いてくれる乗り物ではありません。知らないおじさんが制服を着て運転している乗り物です。レールに沿って一方方向に走るだけ。この時点で自由が奪われている、不安です。さらに「切符」や「乗り換え」といったむつかしいシステムはさらに不安を高めます。本当に目的に付けるのか、自分の選択は間違っていないか、お金が足りなくなったりしないか…。でも目的地では友達や、親戚、家族が待っています。きっと訪れるであろう楽しい思い出の時間を目指して、少年少女は電車の外の景色を、じっと眺め続けるのであります。成長した後も、受験や上京といった場面で必ず「電車の窓からの景色」は登場するでしょう。そのときの思いが、こういった映像を頼りに思い出されているのかもしれません。

Groovisions× Cornelius「Wataridori」

個人的に「横スクロール型映像」と言えばGroovisions× Corneliusの「Wataridori」をまず思い浮かべます。

2004年の作品ですから下手すれば古典になりつつあるのかもしれませんが、アイコン的な映像の美しさと渡り鳥を主人公にしたゆったりとしたドラマがとても印象的でした。厳しい冬の大地を抜け、山を越え、海を渡り、都会までたどり着く渡り鳥達。音楽とのシンクも、さすが。

Sound × Vision 200

Sound × Vision 2004というイベントのために制作された映像で、このDVDに収録されています。

JAPAN CAR

もう一つ、ロンドンのサイエンスミュージアムで行われているJAPAN CARというイベントのために、映像制作会社のWOWさんが制作した映像。

こちらは電車ではなく車に関する風景ですが、真っ白いもやのなかから、木々、そしてライトが浮かび上がってきて、次第に自分たちの走っている風景が見えてきます。自然物が逢えてデジタルな雰囲気で表現されるのが映像的で面白いですね。私が一番ツボなのは途中パパパっと地面が鏡のような面で覆われるシーン。水田なんですよね。同じ景色でも切り取りかたでこうも面白くなるのかと。「減反した未来の農家は水田の代わりにソーラーパネルを設置している」みたいな勝手な未来設定を想像して一人盛り上がりしてしまいました。ミラノサローネで発表されたLights and Shadowsと対になっていて、こちらの映像も幻想的で美しいですね。

ぽーにょぽーにょぽにょ見てきたよー「崖の上のポニョ」

2008.08.03 Movie

ぽーにょぽーにょぽにょ見てきたよー「崖の上のポニョ」

最初は興味がそんなになかったんだけど一念発起、観てきました。「崖の上のポニョ」。ネット上では「絵はすごいけど内容意味ワカンネ」といった意見が多く見られたので余計に観たくなりましたよ。

結論から言うとすごい面白かった。ここまで満足して映画館を出ることもなかなかないんじゃないかというくらい満足。もちろんいつか金曜ロードショーでやると思うけどこの映画は絶対に映画館で観たほうがいい。見ててスカッとする一方、少しもやもやを残すのもまたうまいなー。以下極力ネタバレしないように「ポニョのすごさ」を。

まず、この映画は「こども向け」である。それを一番感じるのが最後のスタッフロール。スタッフロールなんてもんはおとなでも退屈しちゃうものだけどポニョのは絵がたくさん使われていて楽しい。さらにスタッフロールが流れる時間もすごい短くしてある。こどもが楽しい、退屈しない仕掛けがたくさん入った今回のポニョ。作品全体のウェイトも、絵の動きに重きを置いている。こどもは動くもの大好きだしね。ストーリーもこどもが理解できる単純さ。要はお魚が男の子を好きになっちゃう話だもん。つまりは「とにかく観てて楽しい!!」

しかしまあ絵の動きがとんでもない。「崖の上のポニョ」というタイトルで、なおかつ子ども向けだからきっとのんべんだらりんとした映画なのだろう…と思ったら大違い。とにかく絵が動く動く。誇張が激しい(もちろんいい意味!!)。海のダイナミックな動き、たくさん出てくる生き物たち、ポニョのいもうと達が一斉に動くシーンや波の怪物が襲ってくるシーンなどの「群衆アニメ」のクオリティの高さ。舞台が海だけにぐにょぐにょとした動きが今回は特に多い。タタリ神といいカオナシといいハウルの三輪さんの下部といい毎回毎回うまいぐにょぐにょ感。生理的な気持ち悪さと、動きの気持ちよさが混ざったアニメは今回も見所。こういうのは小さい子は楽しくてしょうがないだろうなー。

ポニョの雲。

動きもいつもと違うがさらに絵のタッチも違う。雲の描き方を見るとすぐにわかる。宮﨑アニメの特徴的なリアルな雲。昔美術の先生に「雲を描くときには宮﨑アニメの雲を描け」と言われたくらい。ところが今回のポニョは形もかんたんで素朴な雰囲気。原っぱが色鉛筆で描かれていたり、全体の色数も少ない。繊細というより優しい印象を受ける。その分動きの気性の荒さが目立つわけで。

で、宮﨑アニメといえばストーリーのよさを挙げる人が多いと思うけど、今回大筋は人魚姫のお話の通り。お魚が人に恋をしてしまったどうしよう!! ということなんだけど普通の人魚の昔話と違うのは、実はポニョは普通のお魚じゃなくてとんでもない力をもったお魚。しかも小さなこども(5歳)だからもう男の子のことが好きになったら見境がなくなっちゃって、もう「アカン下手したら地球ヤバい!!」ってなことになってしまう。その一方で登場人物はみんなあんまり驚いてない。この映画の面白いところは激しさとのんびりが渾然一体となっているところだと思う。文字で表現するのは難しいけど、要するに絵本とか昔話とかそういう類いのものに近いんじゃないか。「玉手箱あけたらいきなりおじいちゃんになっちゃったんだけど意外と誰も驚かない」的な。ただポニョのうまいところは、いたる所に「大人が気づく小さなメッセージ」が隠れているところだと思う。これ以上は内容に触っちゃうから言えないけど、この含みがまた面白いことになってます。こどもよりもむしろ大人のほうが「あれはこういう意味だったんじゃないか?」っていろいろ言いあえて楽しいだろうね。

このブログではどんなエントリーでも結論らしきものをまとめるようにしてるんだけど、ポニョに関してはそれが難しい。おかあさんとこどもの話?責任を貫くことの美しさ?どれをとってもなんかちょっと違う。何でもかんでも分析すればいいってもんじゃないんだ。もう全部ひっくるめて「楽しかった!!」っていうのが最高の感想なんだろうね。

宮﨑アニメのなかでも比較的「トトロ」に近いベクトルを持った作品だと思うけど私はトトロより好き…かも。怪作にして快作。いやこれ、改めて言いますが本当にとんでもない映画だから絶対観ておいたほうがいいです。できれば映画館で。こどもの気持ちで楽しむ101分。

ロボットが少年の心を取り戻すまで。「Roboboy」

2008.07.25 Movie

ロボットが少年の心を取り戻すまで。「Roboboy」

まず先に言っておく。私、ロボットのこと、好きだ(時かけ風告白)。昨日はいろいろを書きましたが、やっぱり好き。男の子だから。で、ドラマでも映画でも何でも、私が絶対に泣くシチュエーションていうのがあって。「ロボットが悲しい目に遭う話」は基本、泣く。以前も日曜の朝にフジで新しい鉄腕アトムを放送していた時期があって、それを観ては毎週泣いてた。映画のA.I.でも止めどなく泣いた。傾向からいってどうも少年×ロボットという組み合わせが最強らしい。

ということでちょっと時期が遅れましたがどうしても紹介したかった、イギリスの洗剤の会社PersilのCM。できれば高画質版で見てほしいところ。

家の奥に長いことしまわれていたロボット。そこに家の中に入ってきた犬がぶるぶると泥汚れを飛ばす。ロボットに泥がかかる。その瞬間何かを思い出したかのように、一歩、また一歩と外へ向かって歩き出すロボット。家の外に広がる芝生に足を踏み入れたとき、足に伝わる刺さるような、くすぐったいような感覚に驚く。歩き続けるロボット。ふかふかの枯れ葉のつもった地面の感触。よく見ると足が人間の足に変わっている。すると今度はあるものを見つける。ミミズだ。手に取ってみる。やわらかくて不思議な生き物の感触。まるで初めて見たものかのように眺めていると今度は手が人間の手に。突然の雨。いつの間にか水たまりが。それを見たロボットは水たまりに飛び込む!駆け回り飛び跳ね、自分が汚れるのもかまわず一心不乱に泥水をまき散らす!気がつくとロボットは少年の姿に。自分の体を確認しながら、降りしきる雨の味を感じる。子どもらしさを取り戻した少年は庭を笑いながら走り回る。

CMの最後に表示されるのは「Dirt Is Good」。子どもは子どもらしく、外で思う存分遊ばせてあげるべき、親も衣類の汚れを咎めずに子どもを外へ遊びにいかせよう、というメッセージ。しかし何よりもロボットの演技がすごい。感情の変化を動きや表情が細かい表現している。だんだんとロボットも人間らしさが増していき、最後の雨のシーンで頂点に達する。人の「抑圧された気持ちが爆発する」シーンていうのはいつ見てもグッとくる。なんでかはわからない。もしかしたら「抑えきれないぐらいの本当の気持ち」が心の琴線に触れるのかも。いや、人が感動しているところを見ると自分も感動するんだよね。特にそれが子どもの場合は全てが新鮮で、新しい体験だからなおさらなんだ。

制作はBikini Films × Mill。技術もストーリも最高です。

via. white-screen

【5月から】最近面白かったビデオまとめ【6月頭まで】

2008.06.04 Movie

最近は気になったものは即Twitterに書き込むことが多いです。ということでちょっと気になった映像まとめ。

・Orange TV: Rewind City

ああ人生巻き戻せたなら。舞台はインドの雑踏のなか。一人の女性が悲しそうな顔をしている。それを見た車に乗るインド人男性は何を思ったか道路中でバックをし始めた!! すると周りの人たちも逆向きに歩き始め…?よく時間を巻き戻すネタとかはCGを使って作ることが多いですが、これは全部人力。一生懸命に逆回転しようとする人たちの、不器用ながらもがんばるところがかわいいです。ペンキ屋さんや床屋さんの奮闘ぶりが笑いを誘います。
(via. ニテンイチリュウ)


・Nike: Take It To the NEXT LEVEL

ちょっと前のネタですがナイキフットボールのCM。一人のサッカー選手が栄光をつかみ取るまで。完全一人称視点なのはやっぱりCLOVERFILDの影響?一つの視点から見えるものでドラマを紡ぎだす妙。


・Play with Reactivity. Scopri la tua abilità nel design tattico

一種の「ドキュメンタリークイズ」。道ばたで座り込んでるだーれも見向きもしないおっさん。に対して仕掛人があるものを手渡す。すると…なんとみるみる人が集まってくるではないか!!(世界まる見え調)お金を恵んでもらえたり写真撮影をせがまれたりとなんだか一躍人気者に。どーしようもないおっさにんに手渡したものとは?最後に種明かしが。人の心を掴む技は(気がつけば)意外と簡単なのかも。


・Honda: Drop

HONDAのCM。昨日からスカイダイビング映像が話題になってますが、こちらはエンジンの中。青く燃える炎が美しい。炎と木琴の音という組み合わせがやや人間の原始的な部分を呼び起こすような。効率の良いエンジンが、自然を守る。


・Action Figure Slow Motion Punches

えぐるように打つべし。左から飛んできたパンチが顔面を揺らす。人間の顔はここまで揺れるのか!!とちょっとビビる映像。やっぱりスローモーションは面白い。高画質版はここで。


・JL DESIGN: HiHD Station

YouTube版よりもこっちのハイクオリティ版をぜひ。色の具合やオブジェクトと人物の重なりが美しい。…んだけどこんな感じどっかで見覚えが
…やっぱりUVA vs. The Chemical Brothersですかね?

MacのスクリーンがそのままPVに。「Apple Mac Music Video」

2008.05.13 Movie

ごはんとFlashを挟んだためにすぐにブログに書けませんでしたが、Appleファンとしては書かないわけにはいくまい、ということで遅れていることを承知でご紹介。そのぶんヴォリューム増し増しで。

the Bird & the Beeの「Again & Again」という曲のPV、というかオフィシャルではないようなのでいわばMAD動画。この動画の面白いところはズバリ全編Macのスクリーンショットでできているところ。つまりMacを操作している画面を撮影(キャプチャ)して、それを編集して作成された映像だということ。似たようなコンセプトで以前こんな映像もありましたが、時は変わって2008年。MacOS Xの標準機能を含め様々なアプリケーションが使われています。

最初はまず曲を再生するためにiTunesからスタート。次にMac付属のカメラと連動したPhoto Boothの画面上で素敵な女性が歌います。次には皆さん仕事で(うんざりするほど?)使ってるMicrosoft Word。歌詞がタイポされたと思ったらPhotoshop、iPhotoの連続写真でパラパラマンガ風の演出。さらにはFinderの基本操作まで使われ始め…。めくるめくアプリケーションのオンパレード。YouTubeの説明によれば40種類近くの機能・アプリケーションが使われています。後半はTimeMachineから映像編集ソフトまでが入り交じり、YouTube上の映像で完結…と思いきや、再びiTunesを起動。iTunes Storeに移動してなんと今までかかっていた曲を購入!! お見事。dankogaiさんのおっしゃる通りニコニコ動画におけるニコニコ市場の代わりのようなものかもしれません。でもここまでされるとつい買っちゃいますね。もちろんiTunes Storeで「again & again」で検索するとすぐに見つかります。ちなみに私は英語わかんないので気がつかなかったですがちょっと過激な歌詞だったみたいですね…お子様はお気をつけて!!

このクオリティ+バイラル効果+購入までの導線までの仕掛けはただもんじゃないと思うんですが…本当に素人さんなのかしら…と思ってup主を見たらやっぱりバイラル映像制作の人っぽい。うーんやっぱりか。

他にも本当の素人さんが作った映像が本当にAppleのCMに採用された例としてはiPod touchの自作CMがありましたが、今回はAppleに採用されることはあるのか!? それも注目ですね。

以前紹介したJusticeのDVNOといい最近は歌詞をPV中で表現することがちょっとしたトレンドになってるのかも。と、いうことは新しい歌詞の表現を見つければイマドキっぽいPVが作れるってことか。ちなみに当ブログでこのまえ特集した今監督の東京ゴッドファーザーズのスタッフクレジットは町中の看板にまぎれているなかなか凝った作り。この動画の後半部分で見れます。リアルでやったら面白いね。

[五月病対策] 今更今敏まとめ [PBからパプリカまで]

2008.05.06 Movie

いや、こういうのは連休前に書いておくべきだよね。

「パプリカ」 NEWSWEEK日本語版映画ベスト100に選出、ということで私の大好きな今敏監督作品総まとめ。日本でアニメの監督というとやはりジブリの宮崎駿監督ですが、ココ数年私がずーっとプッシュしているのが今敏監督。最近ではオトナでも楽しめるアニメ、なんてよく聞く言葉ですが本当の意味でオトナでも楽しめるのは今敏作品くらいなんじゃないかと。ロボットやら美少女やらだと家族や彼氏・彼女と観るのはちょっとどうかっていう話だしね。彼が作る作品は常にエンターテイメントの方向を向いている。連休は終わりですが、ぐったりしちゃう5月のカンフル剤として観ると元気になる(?)作品群を年代別でご紹介。適当に初心者おすすめ度もつけたよ。

パーフェクトブルー (1998)
初心者おすすめ度:☆☆ 恐怖度:☆☆☆☆☆

主人公は3人組女性アイドルグループの一員。コンサートには沢山のファンが駆けつけるほどの人気ぶりだったが、本人の意思とは裏腹に事務所の方針で主人公だけがアイドルグループを卒業し女優の道へ。これも仕方なし、と新しい仕事をがんばる主人公。しかし急な方向転換が一部のファンを怒らせたのか、主人公の周りにストーカーがあらわれはじめる。一方で仕事の内容も徐々に過激なものになり、ドラマで暴力シーンを演じたりヘアヌード写真を出したり…時を同じくしてストーカー被害もエスカレート。ネット上で自身のプライベートな行動が詳細に明かされるようになる。そして自分の仕事と現実の区別がつかなくなっていく主人公。これは本当の自分なのか?全ては自分の想像なのか?夢?演技?現実?それとも…?

ちょうど10年前の今敏初監督作品。先に言っておきますが上記のような描写があるため15歳未満は観ちゃダメ。てか普通に怖いです。現実と想像の境目が曖昧になっていくのは今敏作品のメインテーマになっています。軸は「誰がこんなことを?」というサスペンスですが「まさか…自分?」という視点が入ってくることで錯綜した世界が描かれる。なにが本当かは真相が判明する最後まで気が抜けない!! マジで怖いので初めての方にはおすすめできないかも。他の作品を1、2本観たあとでどうぞ。


千年女優 (2001)
初心者おすすめ度:☆☆☆☆☆ 女性おすすめ度:☆☆☆☆☆

ある年老いた名女優。彼女にそれまでの生い立ちと演じた作品について取材を申し込んだ制作会社のスタッフ2名。彼らに自分の若き日の初恋、そして女優業に打ち込む日々を話しているうちに、彼女個人の話と、役の内容がごっちゃになり始めて…?初恋の彼との運命は?そして彼女の女優として生きてきた道とは?

簡単にいうとこれだけの話なんだけど、これが面白い。序盤、彼女の元を去った初恋の彼を追いかけて雪道を走りようやく駅までたどり着いたが電車が出てしまい、あぁ…!! と思ったところで「カット!!」 ってえぇ芝居の話だったんかい!! というおばあちゃん特有の思い出ごっちゃになってるよ、という構成がうまい。女優だからいろんな映画も出てくるんだけど、全てのヒロインが共通して思いを遂げようとする「あの人」を追いかけているのと、彼女本人にとっての初恋の「あの人」がオーバーラップするわけ。女性はいつも憧れの人を追いかけ続けている、というテーマを美しい映像で綴る。途中聞き役の男性二人もおばあちゃんの思い出の中の役として登場することでコミカルな演出もされていて、これも面白い。絶妙なバランスですよ。今敏らしい作品なのでぜひ最初の一本にどうぞ。

ちなみに千年女優はあの千と千尋の神隠しと並んで第5回文化庁メディア芸術祭アニメ部門グランプリを取ってます。あっちはあんなにはやし立てられるのにねえ…。


東京ゴッドファーザーズ (2003)
初心者おすすめ度:☆☆☆☆☆ 笑える度:☆☆☆☆☆

舞台は東京・クリスマス。家出少女、元競輪選手、元ドラッグクイーン(つまりオカマさん)というデコボコホームレス3人組がゴミ置き場で捨て子の赤ちゃんを拾う。赤ん坊を本当の母親の元へ帰すために奔走するのだが…?

見事なまでのドタバタコメディにして3人の明日を探すロードムービー。3人のキャラクターが見事に立っていて、なおかつ幸か不幸か次々と事件に巻き込まれていく&見事に解決していくのが笑える。監督もいう通り、徹底的に都合良く奇跡が起こりまくるのだが、ここまで都合がいいと逆に爽快。奇跡が奇跡を呼び、赤ん坊の母親へ繋がる糸を紡いでいく。今作品の中では最高にライトで笑える、誰でも観て楽しい作品。


妄想代理人 (2004)
初心者おすすめ度:☆☆☆ 恐怖度:☆☆☆☆☆

ある女性キャラクターデザイナー。「マロミ」というゆるキャラをデザインし見事大成功をおさめるが、事務所から次回作を求められ焦る彼女。遂にはその重圧に耐えられなくなり、バットで殴られたと自身で通り魔事件を狂言ででっちあげてしまう。最初は警察も通り魔「少年バット」を捜すがもちろん見つからない。警察が彼女の狂言を疑い始めたそのとき、第二の被害者があらわれる。「少年バット」の正体とは…?

この作品だけテレビシリーズ。主人公は固定ではなく、各話ごとに主人公が変わるオムニバスであるところが面白い。最初は狂言でしかなかった「少年バット」。しかし現実にその被害者が続出する。人は誰もが悩みを抱えている、その悩みを解き放つために少年バットは存在するのか?それとも単なる「妄想」か?笑ゥせぇるすまん的な印象の前半から一転、世界がだんだん飛び抜けていく後半はまさに凶器の展開。いろんな意味で怖いですよ…でもやっぱり続きが気になる!! 全13話。


パプリカ (2006)
初心者おすすめ度:☆☆☆☆ 

精神外科医・千葉敦子。しかし裏では世紀の発明「夢を共有する機械」を使い悪夢に悩む人々を救うヒーロー・パプリカでもある。ある日彼女が所属する研究所で「夢を共有する機械」が盗まれてしまう。それを悪用した何者かによって周囲の人々の夢は悪夢で狂わされてしまう。機械を盗んだ犯人は?そしてその目的は…?

筒井康隆の同名SF小説のアニメ映画化。テーマは「夢」。もう夢の中だったら何でもアリ。主人公のパプリカは夢の中で空を飛んだりすり抜けたり変身したり…まさに夢のような仕掛けが爽快。一方の悪夢の様子も相当狂ってる(けど不思議でちょっとかわいいかな?)。パプリカは事件の真相を解き明かしていくと同時に、周囲の人たちの夢にまつわる悩みを解決していく。そして千葉敦子自身本人の悩みも。夢の中の冒険活劇、だけどちょっとオトナな話なのが素敵です。ちょっとオトナなシーンもあるけど、オトナだったら大丈夫だよね?声の出演もたぶんみんな聞いたことのある人ばかり。東京ゴッドファーザーズに続き江守徹さんもいい演技をしておられます。

関係ないけどこんな話も
「パプリカ」の今敏監督がいいこと言った件について - Tech Mom from Silicon Valley
結局同じ人間・同じ世界だもんね。本当にそう思います。

それにしても…次回作はいつに?

実力行使。Justice - Stress[PV]

2008.05.04 Music

justice_stress_0.jpg

各ニュースサイトでも取り上げられていますがJusticeの新曲StressのPVが公開。

Justiceのトレードマーク・十字架がプリントされたパーカーをまとった少年ギャング達。町中の物を破壊し、通行人に危害を加える彼らの行動はまさに目を覆いたくなる光景。この映像は彼らの仲間が持ったカメラが撮ったドキュメンタリーになっている。町中、店、車…彼らの行動はエスカレートしていく。しかし傍若無人な彼らの行動はやがて警察の目にも留まり…。

いやこれ本当にリアルに撮ってあって。もちろんこんなこと本気でやってたら警察沙汰なので全編演技・やらせで撮ったんだと思いますが、あまりの迫真の演技にPVであることを忘れてしまうくらい。特にモンマルトルの丘・サクレ・クール寺院前でギャング達が観光客に絡むシーンは、周りで観ている人たちの怪訝な顔が写るカットが挟まるせいか余計にリアル。一通り観たあとも「これってフェイクだよね?もちろんそうだよね?」といい聞かせたくなるくらい。これは賛否両論あるだろうな(PTA的な意味で)。とりあえず日本じゃできない。

ストーリー的にも、途中でカメラをまわしている人間がギャング達の仲間であることがわかったりするシーンもありただのドキュメンタリータッチにならない二重構造になっている。ハンディカメラで撮った映像というと最近ではCLOVERFILDが思い浮かびますが、このPVでは「被害者達」をしっかり映すことでリアリティを獲得している。

と、このPVはかなり刺激強めでJusticeを知らない人は変なイメージを持ってしまいそうなので、この機会に今までのJusticeのPVをご紹介。

justice "D.A.N.C.E"
Tシャツ芸、というべきかど根性ガエルもびっくりな「動くTシャツ」。人の動きにシンクしたり、隣の人のTシャツに移ったり。途中本物の鍵盤がTシャツからぽろっと出てくるところなんかうまい。

justice "DVNO"
懐かしい「あの映像たち」のパロディでまとめたPV。あの頃のハリウッド映画大好きっ子(バックトゥザフューチャーとかね!!)には堪らないロゴサインのオンパレード。観てるとつい「あーこんなのあった!!」と言ってしまうおっさんホイホイ成分含有。ニコニコ動画では元ネタを解説しているコメントもあるのでそっちでもどうぞ。

毎度のこと見事なPVです。

攻殻機動隊がスピルバーグの手で実写映画化決定!!…とその思惑は?

2008.04.16 Movie

Variety Japan | 「攻殻機動隊」ハリウッドで3-D実写映画化
「攻殻機動隊」、ハリウッドで実写映画化。:アルファルファモザイク

ここんところハリウッドでは日本のアニメ・マンガ原作の作品が次々に製作されている中でのこのニュース。最近発表されたものではマッハ555、ドラゴンボール、AKIRAと期待と不安が入り交じるラインナップ。ここにきてジャパニメーションの真打ちとも言える攻殻機動隊がハリウッドで実写映画化。かくいう私も攻殻の大ファンなので、「本当にちゃんと再現してくれるの?」という気持ち半分、「でもきっとスピルバーグがやってくれるのなら…」という期待半分といったところ。やっぱり少佐はアンジェリーナ・ジョリーになっちゃうのかなぁ、とかサイトーはやっぱりケン・ワタナベなの?とかキャストを考えただけでワクワクモノ。さらに製作は去年の全米大ヒット作「トランスフォーマー」を手がけたドリームワークス。私個人としては原作やアニメ映画から多少逸脱しても面白いかなあとは思ったり。かなりエンターテイメント色が強い作品でも器がしっかりしてる分いけそうな気がします。まスピルバーグ自身が「『攻殻機動隊』は私のお気に入りのストーリーなんだ」と言ってるくらいだから我々の知っている攻殻機動隊に近づけてくれる事を期待しましょう。

…とここで終わりたいところですが気になる点がいくつか(右京さん風)。今回のニュース記事の中でスピルバーグがちょっと気になる発言をしています。

新しい分野だけど、ドリームワークスは熱意を持ってこの企画にあたるよ」

新しい分野。今回の攻殻機動隊の映画化のどこが「新しい分野」なのでしょう。アニメ作品であれば大ヒットしているシュレックシリーズを制作しているし、アニメ原作という意味であれば既にトランスフォーマーも制作しています(攻殻機動隊よりよっぽど映画化難しいと思うけど)。では何が「新しい」のか。それはこの映画が3-D実写映画であるという点です。

「いや、実写なら3次元に決まってるでしょ常識的にかんg」と言いたくなるところですが、ここでの3-Dの意味は違います。立体上映の意味です。そう、3Dメガネを付けて観ると映像が飛び出してくるアレ。このソースではアメリカでは3万7000スクリーンのうち、およそ1500スクリーンが3-D対応。日本ではまだほとんどなく最近ようやく対応映画館が出てきたかという状況。で、なんでまあわざわざ3-D対応の映画を作んなきゃいけないかというと事の経緯はこんな感じらしい(やや妄想含む)。

映画制作側「映画館のためにフィルムいちいち複製するのめんどくせー。しかも金かかるし。今はほらデジタル時代なんだからさあ、データでわたしちゃえばいいじゃん。ま、ただデジタルにするだけじゃもったいないから映画館には3-D対応の機械も買ってもらおう。これでがっぽり間違いなしだお!!」

映画館側「ただでさえ経営が辛いのになんでそんな機材買えるかっ!! ならちったあ金出さんかい。それに3-D上映?本当にオモロいんかそれ?わざわざ3-Dのために高い機材そろえて結局お客さん入らなかったらどうしてくれるんじゃい!!」

映画製作側「うっ…そんな怖いこと言わないんでほしいんだお…。なら絶対に当たる企画出せば文句ないよね。さーて当たりそうな企画はと…」<今ココ

映画館の人はそんな怖くないです。すみません。とにかく、ちょうどアメリカの映画界は分岐点に入っているらしく、このデジタル&3-Dプラットフォームを促進させるためのキラーコンテンツの一つとして攻殻機動隊が選ばれたということみたい。なんかこんなシーンを久夛良木さんがらみで見たような気が…。

やはり攻殻だけにいろんな人の思惑が入り乱れているのか。もしかするとこれが本当の、公安9課最大の危機か?

追悼・市川崑

2008.02.14 Movie

追悼・市川崑

会社で市川崑が亡くなられたというニュースを見て一人で大声を上げてしまった。…のだが会社の他の人は「え?誰それ?」的なリアクション…なんという!! 私としては亡くなられたことよりも会社でのリアクションの方がショックだったが…。とりあえず気を取り直して。いや、私はそんなに映画通でもなんでもないので、市川崑監督の1から10までを全て言えるわけではないんだけど、私のような映画シロートでも十分にその偉大さは知っている。ほら誰もが知ってるあの、名探偵。

やはり一番有名なのは金田一耕助シリーズである。今まで数々の俳優が金田一耕助を演じてきた。古谷一行、片岡鶴太郎、豊川悦司、最近だと稲垣吾郎メンバー…しかし何と言っても一番有名なのは石坂浩二。石坂浩二が演じた金田一耕助の映画は全て市川崑が監督している。

金田一耕助と聞いてまず何を思い浮かべるか。湖から逆さに突き出た二本足。これは犬神家の一族のワンシーン。ここまで来るとアレのイメージだけが一人歩きしてにしおかすみこに吸収されちゃった感もあるけど、ここはぜひオリジナルを観てほしい。静まりかえった湖畔にぽつんと、人の足。当然だけど本当に異様。市川演出はこれだけに留まらない。殺害シーンでの血の飛び散る演出。わざわざ血だけが飛び散るシーンをインサートすることで直接見せる以上のインパクトが生まれる。また登場人物を24のようなカット割りで同時に見せる手法。これでもかと飛び出る名演出は全て30年以上前に撮影されたもの。今では普遍的になった手法、でも改めてオリジナルの「八つ墓村」「犬神家の一族」を観るとその強烈さたるや。

金田一耕助シリーズはただのセンセーショナルさが売りなだけではない。推理ドラマ、風土表現、人情話、時にコメディタッチにと様々な要素を含む。それをまとめてエンターテイメント映像として大成させたのは市川崑監督の功績。

…とここで上に貼付けた今回の画像である「監督市川崑」を見て「え、極太明朝を折り返し表記、ってエヴァンゲリオンのマネ?wwwwプーッwwwwなんでいまさらwwww」と思ってる輩がいたらそれこそプーッ!!ですよ!! 極太明朝+折り返しと言えば市川版金田一の名物(こちらのブログだとよく比較できる)。この作品の後世に与えた影響は大きい。

そんなわけであながちデザインとも無関係ではない市川崑監督。せっかくだからこの際、「八つ墓村」や「犬神家の一族」(最近のリメイクじゃなくてぜひ古い方)から見直してみてはいかがか?きっと新しい発見や、現代の表現に繋がるものが見つかるはず。

…いちおうまさかと思いますけど皆さん、大村崑と勘違いしてませんよね?推理は推理でも「赤い霊柩車」ですので。

…ってネタを考えて文章書いてたら私が間違えて「市村」って置換しちゃったよ!! 今は直したけど。

[from ABM] Sony: HD Experiment

2007.08.02 Movie

Sony: HD Experiment


FICC AnotherBookmarkにニュース掲載された映像作品。当ブログでは久々に映像ネタ。

Blink - Sony: HD Experiment

SONYのハイビジョン対応製品のイメージCM。シュチュエーションも何もよくわからないですが、とりあえず、まっぷたつの車。中にはプードル、ネオン管、ポリッシャー、大量の泡、銀色のバルーン、スポンジ、巨大シャボン玉を作るマニピュレーター…そしてそれを見守るように配置されたHDハンディカムにサイバーショット、PS3にブラビア。勝手に暴走(てか独り走り)する世界を淡々と記録するSONY製品群(しかもHDクオリティ)。あまりの世界観のバカバカしさに胸を打たれます。いやまず曲がズルい。見事にCMの世界観を牽引…というか自己弁護してる(「すみません馬鹿で…」みたいな)。でもシャボン玉が割れるところとか肝心な所はほんとにきれいに撮れてるのよね。

最近のSONYのCMと言えばBRAVIAの坂をはねる大量のスーパーボールや、ペンキ爆弾などの「とりあえず実験してみてるところを撮影」という形式が流行ってる模様ですが、その流れを「わざとらしさの塊」としてセルフパロディした形にしたのがうまい。

制作はPleixSometimese-babyあたりが有名な作品。e-babyは2003年の文化庁メディア芸術祭アート部門で賞を受賞してますね。ちなみにBeauty Kit2001年のノンインタラクティブ部門受賞。映像・CGのクオリティの高さももちろんですが、作品全体に漂う皮肉感、ひねくれた感じが特徴。男の子な映像、と言いましょうか。理屈っぽさが好きです。

関連リンク:
Pleix
Pleix - Wikipedia, the free encyclopedia

究極のアカデミー賞まとめサイト。そして「Hello」。

2007.02.27 Movie

第79回アカデミー賞

第79回アカデミー賞。

助演女優賞でノミネートされた菊地凛子さんは受賞ならず、というニュースは非常に残念。…でも待てよ、「バベル」ってどんな映画なんだ?「ラストキングオブスコットランド」って何?ロードオブみたいなもん?そんな海外映画に疎い僕らに最高な第79回アカデミー賞まとめサイトがこちら。

Apple - Movie Trailers - 79th Academy Awards

AppleのQuickTimeサイトスペシャルコンテンツです。今回のアカデミー賞のノミネート一覧を軸に、その作品のトレイラーへのリンクが貼られている。しかも今やほとんどのトレイラーがHDクオリティ(日本人に馴染みがある言葉でいうとハイビジョンです)で観れてしまう。実際に「バベル」のHDトレイラーを24inch液晶に映して画面から50cmの距離で鑑賞しましたが、むちゃ綺麗。なんか普通に映画館で観てる気分になります。このクオリティはみんなに体感して欲しい。家でこれが観れるってヤバいです。バベル観たくなってきました。さらにこのサイトが "最高" なのは、トレイラーだけでなく、その映画のサントラや関連したPodcastをiTunesでダウンロードするためのリンクが貼られているところ。映画によってはその映画自体がダウンロードできるものも(Cars、The Prestigeなど)。残念ながら日本からこのリンクを利用することはできませんがうまいことやってんなぁ、という印象。よって我々はHDトレイラーを鑑賞して悦に浸ることにしましょう。いやマジで綺麗なんだから。

さて、話はこれで終わりません。Appleはまとめサイトだけでなくこんなものも用意していました。

Hello

Apple - iPhone - Hello

総勢31人(人じゃない人も含めて)のハリウッドスター夢の "Hello" 共演。そしてiPhoneに続き「Hello」「Coming in June」の文字。これはアカデミー賞の生中継番組で放送されたiPhoneのテレビCM。Appleらしく誰でも思いつくような極めてシンプルなアイデアから生まれたCMですが、映像のサンプリングと "Hello" という一貫したキーワードのおかげで携帯電話という更に広い市場を目指すAppleを象徴するようなCMであります。アメリカ大統領(の役)の後最後にMr.インクレディブルを持ってきたのは、「アメリカ大統領よりもヒーロー(Pixar、つまりはApple)でしょ」といったところか。そして映画の中に登場する電話はこれからはiPhoneに置き換わっていくんだ、というメッセージも込められているような気がします。

ちなみにこのCMに何度と無く登場する単語 "Hello"。この言葉はAppleにとって特に特別な挨拶、である。記念すべき初代Macintoshが発表された時(私が生まれた年ですよ!!)のキャッチは "Hello" だった。そしてAppleの金字塔の一つ、初代iMacが発表されたときは "Hello, again." 、"Say Hello to iMac." に。そして今回、iPhoneの登場は再び "Hello" で表される。このキャッチが示すもの。それが、AppleにとってはiPhoneの登場は、PCの革命をもたらしたMacintoshの登場と同等の意味を持っている証。

Appleからイノベーションが生まれたときの挨拶は "Hello"。では孫さんよろしくお願いします。

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