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ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q - あなたは社会の一員なのだから

2012.12.14 Movie

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q - あなたは社会の一員なのだから。

テーマは「会社」から「社会」へ

これまで僕は、序を「シンジ君が会社で自分が働くことができる場所を見つける話」、破を「シンジ君は仕事の中で自分のやりたいことを成し遂げられるようになる話」と書きました。突然ネルフという地球を守る「会社」で働くことになった14歳の少年は戸惑いながらも自分の居場所をなんとか見つけることができた。そして次に自分が得たその居場所を投げ打ってでも、そして仕事の機会を利用してでも自分の目的(シンジ君の場合は同僚を助けること)を実現することを覚えた。「人のために仕事をし、自分の成し遂げたいことのために生きる」これこそが、序・破の中でシンジ君と僕たちが見つけ出した仕事に対する姿勢、答え、だった。

ところが誰もが気がつくことですが当然この答えには問題はある。自分の成し遂げたいことのためなら何をやってもいいのか。それは許されるのか。個人と個人、個人と組織が向き合うお話が序・破であったのに対し、個人と社会が向き合うことをとはどういうことなのか。これがエヴァンゲリオン新劇場版:Qのテーマである。

エヴァにおいてこれまで社会(ネルフに対する社会的反応)が描かれることはほとんどなかった。ないことはないが極めて少ない(序のトウジの顔面一発とコンビニの客の会話くらい)。ここまではシンジ君とネルフという会社、そしてその内側での業績のみが語られてきたわけです。当然ちゃんとやっていれば会社から文句は言われないし、納得がいかないことがあればその要求を突っぱねることもできるし、辞めることもできる。しかし社会からの評価・批判はどうだろう。

ATフィールドの時代の終わり

シンジ君はやってしまった。世界を救う、レイを助けるという名目はあっても、世界を崩壊させる大惨事を引き起こしてしまった。結果シンジ君は社会全体と向き合わざるを得なくなってしまった。世界中からの批判、批難、叱責、勢いに任せた罵声…社会からの攻撃は途轍もない数になる。ネットから、電話から、テレビから、Twitterから、井戸端会議から、あらゆるところから飛んでくる槍に対して、内に籠るだけではもう自分を守りきることはできない。

Qでは「ATフィールドが無効化される表現」が頻発する。十字棺桶の護衛機はアンチATフィールドで2号機のATフィールドを切り裂き、直後に登場する人口使徒はATフィールドでは守れない攻撃をしかけてくる。極め付けは13号機で、ATフィールドが"そもそもない"!なぜこのような表現が頻発したのだろうか。今作にも登場する渚カヲルは過去作で「ATフィールドは誰もが持っている心の壁である」と言っている。自分を守る心の壁があるからこそ人間らしさを確立できるのだと。しかし他者を拒絶する心の壁で守れるのは、結局顔を見知った個人と個人の衝突だけであり、不特定多数からの攻撃はとてもじゃないが守りきれない(映画サマーウォーズのキングカズマが有象無象のアバターに一斉攻撃されるシーンを思い出すところだ)。ATフィールドの時代は終わった。これらの表現はもう社会と個人の衝突に心の壁はなんの役にも立たないということを表している。殻に閉じこもることが得意なシンジ君でも防げない痛みに耐えきれず、壊れてしまう。S-DAT(ウォークマン)のように。

14年の間に世界は変わった

しかし、世界を半ば滅ぼしてしまったシンジ君ならまだしも、個人と社会がぶつかり合うことなどあり得るのか。これは一市民にとって普遍的なテーマと言えるのだろうか。

14年前、旧作に当たるエヴァンゲリオンを作った人たちがいた。彼らは自分の考えうる、最高のものを作って世に送り出した。彼らの作った社会現象になった。まさか彼らも自分たちが作ったものが14年後も未来まで日本全国のTSUTAYAに並び続けるなんて考えもしなかっただろう。社会からの反応は、賞賛の声、罵倒の声、それが綯い交ぜになったもの。自分が信じて行ったことと、その結果。今作のシンジ君と全く同じことを彼らは体験してきた。

ではやはり社会的にインパクトを与えるような作品を世界に向けて発信した人でないと「個人と社会がぶつかり合うこと」は起こらないのだろうか?当然そんなことはない。それが14年の歳月が我々の世界にもたらした変化、高度に発達したインターネットだ。我々は、社会と相互に繋がってしまった。いうなれば補完されてしまった。わざわざ"エヴァンゲリオン"など作らずとも、個人と社会は容易に衝突しうる。

卑近な例えではあるが、例えば私がとある正義心から「原発反対!あんなもの一個ずつ爆破してしちゃおうよ!」などとなどとTwitterでつぶやいた瞬間、僕は世界からの制裁を受けることになる。様々な立場、心情の人からの制裁。真面目に怒る人もいればからかうように囃し立てる人、この発言を上手いこと使って自分を意思をすり替えて伝えようとする人、小馬鹿にして自分の心の安定を得ようとする人…その意図が正当であろうとなかろうと。数千、数万の見えない槍に刺されることになった時、あなたはどうするのか。これがQが我々に突きつける問題である。

キャパシティの小さな大人たち

よくQを見てまた卑屈で閉じこもりがちなシンジ君に戻ってしまった、今までの話は何だったのか、という人がいるが、とにかく行動しなければ、という意思は破の際に培われたものだ。だからこそQのシンジ君は辛い。自分の行いのために他者の利益、幸せを踏みにじることがあるということを想像できなかったがゆえ、手のひら返しのような社会の反撃を受けることとなった。酷だ、酷過ぎる。自分を貫けと言われてやって、みんなが喜ぶと思ってやって、その結果がこれですか、少しは話を聞いてくれたっていいじゃないですか、と。

ヴィレの乗組員を通して描かれるのは人間のキャパシティの小ささだ。懇切丁寧に、教えてくれればいいものを、ひとっ飛びに結論を出し、強要する。しかし一見滑稽にも見える彼らの言動を批難できるほど我々には余裕があるだろうか?気がついていないだけで実は彼らと同じようなことを我々も日々行ってしまっているんじゃないか?ヴィレの乗組員は僕らの写し鏡なのである。人の心には、身体には、時間には、限りがある。ネルフに追い回されている心休まることのないヴィレの状況は、情報に追われ踊らされ続ける僕らと同じだ。我々は時流に逆らう他者を自然と排斥する。その向こうに一人の人間がいることをを想像もせず。いやわざと考えないようにしているのかもしれない。そこに一人の人間がいると思わないからこそ、引き金が引ける。まるで無人機を操縦して地球の裏側からミサイルを撃つアメリカ軍のようだ。

「見ない」象徴するのがミサトさんのサングラス(ゴーグルと言った方がいいか)だ。あれはシンジ君を、一人の人間として見ないための目隠しなのだ。ミサトさんは当然シンジ君を一人の人間として見ている、見てしまっているから彼を殺すスイッチを押すことができない。ミサトさんは何も変わっていない、変わってしまったのは人一人が持つ余裕なのである。

優しい人は誰の前にも現れる - カヲル君の場合

そんな彼の前に一つの希望が現れる。渚カヲル。彼は「どんな時にも、自分を投げ打っても味方になってくれる存在」。先ほどのTwitterの例で言えばどんなにラジカルな発言をしても支持に回る人が必ず現れるものだ。「無償の優しさ」はこの世の中に確かに存在する。親、兄弟と言った家族、恋人、友人、そして全く見知らぬ人からも。社会は広い、その広さゆえにそういった存在は必ず現れる。まさに「どんな時にも希望はある」。

そういった優しい人たちの代表としてカヲル君は描かれる。家族のようで、恋人のようで、友達のようで、見知らぬ人のようにも感じられる存在。他者からの情は社会からの攻撃で傷ついた心を癒してくれる。心だって生き物だ。身も心もを守らなければ人間は疲弊してしまう。

ただ一つ問題があるとすれば、そういった優しい存在が、直視すべき世界を見えないようにしてしまうことだ。どんな情報も引き出せ現代は何かと自分の都合のいい情報ばかりを集めて自分の主張を補強してしまいがちだ。そしてシンジ君とカヲル君は無自覚のうちに「自分たちだけの世界」を強化し、世界を別の視点から見ることを忘れてしまった。S-DATは"胎児が聞く母親の心音"、守りの壁の象徴である。そのS-DATをカヲル君は"直してしまった"。そうして2人の世界に閉じこもってしまった結果問題をさらに深刻化させることになる。そして最大の悲劇を招いてしまう。

カヲル君の死の意味とは何だろうか。シンジ君が社会からの爪弾きにされるのと同じように、自分を信じてくれた、自分を愛してくれた人もまた当然社会の熾烈な攻撃を受ける。そして自分の盾になって死んでいく。最も辛いのはカヲル君がシンジ君のことを恨みもしないことだ。そこに愛の強さと残酷さがある。大切な人の力になりたいという、カヲル君の純粋な想いは間違っていなかった。ただ、目を見開き世界を直視していればこんなことにはならなかったのだ(彼らが外の景色を見たのは、シンジ君が真実を知った時、そして全てが終わってしまったあとだけだ)。カヲル君はシンジ君を守ることはできたかもしれないが、最後までシンジ君を救うことはできなかった。

あなたを叱ってくれる人はいますか - アスカの場合

そしてもう一人のシンジ君にとっての優しい人、それはアスカだ。シンジ君にとって見ればアスカもヴィレの一員であり「社会からの攻撃者の一人」である。しかし彼女は他の攻撃者とは違う。アスカはシンジ君のことを「バカではなくガキだ」と言う。過ちを叱責しながらもシンジ君を一人の人間として導こうとする。キャパシティのない人たちはわざわざそんなことはしない。人を導こうとする人のどれだけ貴重なことか。悲しいことにシンジ君は気がついていないが、アスカはシンジ君にとって本当にかけがえのない存在なのである。Qでのアスカの行動はすべて愛情が感じられるし、すべてがヒロイックだ(改めて人気が出るのもわかるね!)。

だからQの物語はカヲル君とアスカの旧作以来の因縁の対決の物語でもある。カヲル君にとってはわざわざ弐号機を壊したのにシンジ君と一緒に生き続けたアスカは「恋敵」。アスカもカヲル君もシンジ君を助けたいという愛情の気持ちは一緒だし、どちらも疑いのないものだ。しかし二人のアプローチは違った。結果から言えばカヲル君のアプローチはシンジ君に世界を向かせるための犠牲であり、アスカのアプローチはまだ道半ばである。が、少なくともアスカの導きは間違いではないように感じるのだ。

"盲目の"ゲンドウ

しかしシンジ君があれだけ打ちのめされているのに同じ立場(サードインパクトの犯人)である父・ゲンドウは全く動じていないように見える。

ポイントは眼鏡だ。ゲンドウの眼鏡は今回、サングラスではなく謎のバイザーに変わっている。これは私の想像だが、彼の眼はおそらく、既に光を失っているのではないか。"破"の最後に初号機の血を浴びたことが要因なのかもしれないしそうではないのかもしれないが、何にせよ彼は「世界を見ることを完全に止めた」のだ。文字通り盲目的で過激な活動家となったのである。アスカに言わせればやはり「ガキ」である。何も人の話を聞かない人間ほど怖いものはない。

Qでは冬月からシンジ君に対してゲンドウの秘密が明かされる。一つの願いを現実のものとするために、最愛の妻も、あらゆる犠牲を払ってきたゲンドウ。結局シンジ君の行動はゲンドウの姿と重なる。このままシンジ君は目を塞ぎ、耳を塞ぎ、自分の理想の中だけに生きる、ゲンドウと同じ道を歩むのだろうか?結末は次回のシン・劇場版までわからないが、今のシンジ君は"一人ではない"し、"大人ではない"。もしかするとゲンドウが歩んだ道を"やり直すこともできる"かもしれない。

社会はお互いの衝突で成り立っている

こうして社会という巨大ネットワークに住む人々をQの登場人物に当てはめていった。それぞれのメッセージをまとめると

・我々はヴィレの乗組員たちのような小さなキャパシティで生きていないか?
・シンジ君、果てやゲンドウのようにのように外の世界の現実をを見ることを拒絶していないか?
・カヲル君のように人を守ることと自分の世界を強化することを一緒くたにしていないか?
・アスカのように本当に人を尊重し、導くことはできるか?

社会の一員である「あなた」に問いかけるこの痛烈なメッセージこそQの張り詰めた息苦しさの正体である。喉元にナイフを突きつけられるような、受け止めきれない難しい問題。少なくとも僕はこれらを満たしている自信はない。しかしこれが今の時代に必要とされることである。確かに個人と個人の衝突よりもはるかに解決が難しく、全身を貫かれるような痛みに襲われることもある。が、衝突を恐れては世界の時間が止まってしまう。我々は衝突を繰り返しながら、社会の一員としての正しさを考えながら、社会を正しい方向に導かなければならない。

おそらくプロットは311以降対応大幅に書き換わったのだろう。実制作時間の時間の少なさ、大衆娯楽的アクション映画「新劇場版」としては絵として気持ち良さにかける部分も多く見受けられる。が、作品が描いたテーマに関して表現の過不足はない。

Qで最後に彼らが提示したのは14年前の"過ち"(僕が勝手にそう思っているだけですが)、旧劇場版をやり直すことでした。まだシンジ君は自分の足で立っている。僕は最後まで見守ろうと思います。

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