映画「ソーシャル・ネットワーク」は“ガンダム”である
2011.02.04 Movie映画「ソーシャル・ネットワーク」の評判を聞いているとまさに賛否両論。面白かった!という人もいれば、ピンとこなかった…という人もいる。アメリカの、頭のいい大学の、"リア充"をやっかむオタクが、新興Webサービスを立ち上げ、訴訟を起こされる話、となれば純日本一般人の我々がピンとこないのも納得ではある。特に女性はピンとこない率が高いように感じる。劇中では女性がやや蔑視的に描かれていないことも一因であろう。一方で面白い!と思った人の共通点を探っていくと、僕の主観ではあるがテクノロジー系に強い男性で「ガンダム好き」が多いことに気がついた。そして僕は一つの結論にたどり着く。
映画「ソーシャル・ネットワーク」は "ガンダム" である

ガンダムとは言わずもがな、でかいロボットが出てくるアニメのあれである。しかしガンダムを「ただロボットに乗って戦うアニメ」と思っている人がいたら大きな間違いだ。ガンダムは「ロボットに乗りながら言論大会しつつ戦うアニメ」なのだ。登場人物は多くの場合2軍に分かれて戦い、己の立場、利害、ポリシー、思想、生き方、それをぶつけ合う。言論バトルとロボットバトルが高度に融合したアニメ、それがガンダムである。一方のソーシャル・ネットワークの最大の見せ場は、法廷や職場で登場人物が繰り広げるマシンガントークだ。自らのプライドがぶつかり合う、激しい会話こそがこの映画の「戦闘シーン」。主人公と元カノの"口戦"シーンから始まるなんてガンダムに対するオマージュとしか思えないね!!(口がもがれなかっただけでもありがたく思え、マーク!!)
そもそも主人公のマーク・ザッカーバーグはガンダムの主人公アムロ・レイにそっくりではないか!まずもじゃもじゃの髪が。内気ではあるが頭もいい、天才(ニュータイプ)。性格はわがままで独善的、身なりも気にしない。孤高、というより孤独な存在。そして最大の共通点、それは「最強の武器の中にいる」ことだ。もちろんマークはFacebook、アムロはガンダム。最高の武器に最高のパイロット、当然それは最高の勝利を約束する。そして彼らはこう言うのだ。
"I made Facebook!"
"僕が一番ガンダムをうまく使えるんだ!"
しかしこの2者も異なる点がある。アムロは戦いの中で敵・味方、様々な人々と出会い、見違えるように大きく成長していく。そして物語の最後にガンダムを捨て、仲間たちの元に帰っていく。しかしこの映画のマークは違う。彼は1mmたりとも成長しない。むしろ彼が最初にいるところから一歩も動いていない、という形容が正しいか。劇中でFacebookのオフィスはどんどん大きくなり、施設が豪華になり、出入りする人も増え、うなぎ上りで成長していく。がその代表であるはずのマークはどうだ。相変わらずもさい恰好でヘッドフォンを付け、PCに向かい続ける。マークは変化しない。人として成長もない。変化したのは成功に踊らされた周囲の人間たちだ。これがこの映画がただの成長譚ではない、一風変わったものとなっている大きな理由である。彼は友達を得た。そして裏切られた。そして友達を失った。簡単な話だ。そう、まるで1クリックで友達を増やしたり減らしたりできるFacebookみたいじゃないか!ねえ。
さて、アムロに比べ成長しないマーク、と言ったがこれは別の見方ができるかもしれない。つまりこの映画で描かれたマークの物語はまだまだ途中なのではないか、ということだ。例えばガンダムで言えば「劇場版II〜哀・戦士編」の前半。アムロに助言を与え、そしてアムロによって倒されたランバ・ラルと、マークを導きFacebookの成長に多大な貢献をしたショーン・パーカーは少しかぶるような気がしないでもない。ランバ・ラルの方が圧倒的に渋かっこいいけどな!じゃあ「Facebookの足を引っ張った」エドゥアルド・サベリンはハヤト・コバヤシあたりか。別に僕はハヤトが役立たずって言っているわけではないよ(^0^) そして主人公から大切なものを奪っていったのも両者の共通点だ。ま、アムロもマークも奪われたもののことを本当に大切に思っていたかどうか、は一考の余地があるかもしれないがね。
ともかくFacebookの物語はまだまだ続くのだ。マークがFacebookから降りるそのときまで。…ところで、シャアはいつ出てくるのかな?