僕らが必要としていたのは、きっと小さな成功だった。『東のエデン劇場版II Paradise Lost』

ネタバレを含みますのでいちおう観るつもりの人は読まないように。
正直、何書いていいかわかんないんだけど。
「東のエデン 劇場版 II Paradise Lost」の感想というかレビューを書かなければ、とずっと思っていたができなかった。「東のエデン 劇場版 I The King of Eden」のレビューをしているんだからその続きであるIIのレビューもするのが当然ではある、がえらく悩んでしまった。理由としては簡単で、映画としてはうまくいっていないように感じてしまったからである。テレビのテンションで続いているのに、話の焦点がすげ変わったせいだと思うんだけど、結果的には「時間不足」になってしまっている印象。そして私の中では「映画すなわちエンターテイメント」という基準があるため、映画的な興奮はさほど感じなかったこと。話の落としどころも、現在進行形の事象を扱っていることもあって、むしろよくここまで食らいついたなとと関心しているのですが…ともかくどう書いていいものかなかなかまとまらなかった。
で今回のエントリーでは完全にまとを絞って、私が今作で最大のキーになるであろう、亜東と滝沢がお金について語るシーンから話を切り出すことにする。何故新聞配達のバイトをしているのか?という質問に対して滝沢はこう答える。
「人からお金を貰う練習をしているんだ」
お金って何だろう?:「クズ子」の場合。
ところで「クズ子」という人物をご存知だろうか。クズ子はちょうど1年前ほどに2chで「うちの母ちゃん凄いぞ」というタイトルでスレッドを立てた女性(スレ中の表記に習い敢えて敬称略です。クズ子さんごめんね><)。そのまとめはここにあるのでぜひ読んでほしい。全5回にわたってまとめられた長いスレッドなのだけれども、これが非常に面白い。クズ子の母親が離婚し、家族が崩壊したところから話が始まる。借金取りに追われる生活を脱するべく、一人奮闘するクズ子のお母さんはあっという間に出世を繰り返し、母親として、そして一家の大黒柱として、崩壊した家庭を支えることになったとてつもないお母さんの奮闘記。…なんだけど問題はクズ子のほうで。両親の離婚の件で心を病んだ後、回復した後もクズ子というだけあってニートでお金にしか興味がないような荒んだ生活をしていたという。私もだらしない人間だけど、そんな私でも驚くほどのダメっぷりを発揮するクズ子。家にいても何もしようとしない、ただ友達と何となく遊んでただただ怠惰な日々を過ごす。彼女はその環境から出よう、変わろうという気持ちすら生まれない。しかし彼女に転機が訪れる。料理を作り始めたことだ。
母や妹のために料理を作る。他人のために何かする、というのは彼女の中での変化の第一歩だっただろう。そして彼女はひょんなことから自分で作ったクッキーをバザーで売ることになる。彼女にとってお金は使うものでしかなかった。しかし彼女は自分の手で、力で、初めてお金を貰うことができた。その5000円の何と尊いことか!(この時のクズ子はそんな感情がないからすぐ使っちゃうんだけどね) その後も彼女の金銭感覚のズレはなかなか治らないながらも、この5000円をスタートに自分でお金を稼ぐことを覚えていく。無気力なニートから、確実に成長を遂げていく彼女の物語はとても清々しい。
僕らに必要なのは、ほんの小さな成功体験
滝沢は言う。「偉そうにみんなお金を使っているし、お金を使うことが楽しいようにみんな振る舞ってるけど、本当は違うんじゃないか。お金は受け取れることがうれしいのが本来の社会じゃないのか」。お金を使うことに引きずられて、本質を見失っている。大きなお金を使うために大きな成功を収めようとする必要はそもそもない。今日本人に必要なのは「成功体験」だ、と彼は言っているのだ。成功体験が自信に繋がる、そしてその成功をさらに大きくしようと考えることで社会は回る。何も成功といっても大きな成功である必要はない。大企業に就職することだけが成功じゃない、ホリエモンや孫正義になることだけが成功じゃない、もっと小さくていい。自分でものを売り、お金を受け取る。そんな小さな成功体験が。
5000円は確かに少額である。しかしクズ子にとっては大切な成功体験だった。東のエデンの結末でも、ニートたちがバザーを開き、自分の手でお金を稼ぐことを覚えていく様子が描かれている。滝沢は日本国民全員に「1円」を配ることで、新たな経済圏「東のエデン」を成立させるというよりもむしろ、お金を貰うことの喜び、自分を信じてくれる人がいることの喜びを伝えたかったのかもしれないですね。