行き過ぎた資本主義からアメリカ国民を救い出せ。『キャピタリズム マネーは踊る CAPITALISM:A LOVE STORY』
「ソイレント・グリーン」をバカにできないアメリカの現状
「ソイレント・グリーン」というSF映画がある。舞台は2022年、人口増加によって食料の価格が高騰、一握りの富裕層が野菜や肉を独占し、ほとんどの貧しい人間は合成食料しか口にすることができない超格差社会だ。合成食料を生産するソイレント社の闇を追う主人公は新商品「ソイレント・グリーン」の恐るべき真実を知ることになる。生産工場に運び込まれていたのは人間の死体。ソイレント・グリーンは人間の死体から生産されていたのだ。「ソイレント・グリーンの原料は人間だ。早く何とかしないと、今に食糧生産のために人間を飼うようになる…!」
今格差社会が広がっているからといって、人が食物に変わる世界がやってくるわけではない。だがこの話を絵空事と笑えない現実が今ここにあることをマイケル・ムーアの新作映画「キャピタリズム」は警告する。人を食べ物、いや金に変える世界。つまりは労働者は搾取され、富めるものはますます富を得る世界の到来だ。
ただただ真面目に働いて暮らしていただけなのに…どうしてこうなった?
映画のまず銀行強盗を写した防犯カメラの映像をつないだものから始まる。支払能力がないからと銀行に自分の家を差し押さえられた人はこう言う。「今初めて銀行強盗の気持ちがわかった。俺だって銀行から金を奪い返してやりたい」。むしろ罪もない人間から住む場所を(警察という公的権力を借り出してまで)奪い取っていく銀行こそが "強盗" ではないのか…そうマイケル・ムーアは問う。この映画は徹底的に「富めるものはますます富み、貧しいものはますます貧しくなっていく」現状を様々な角度から切り取っていく。
個人的にもっともキツかったのは、名だたる大企業が労働者に生命保険をかけている、というところ。労働者の家族には内緒、もちろん受取人は…企業だ。人の死が、企業の利益に変換されている。まるでこれじゃソイレント・グリーンそのものじゃないか!? こんなSFみたいに狂った世界は間違っている、なぜこんなことが許されるんだ?…許されるんです、資本主義(キャピタリズム)の名のもとに。

利益を追求することを第一とし、そのために必要な競争はすべて許される!大企業はそれでいいかもしれないが労働者はご覧の有様だよ!そもそもアメリカは大企業のために作られた国だったか?ここがマイケル・ムーアの視点の面白いところ。わざわざ本物の合衆国憲法の原文を確認に博物館へ。もちろんそこには「資本主義」の一文字もない。資本主義の反対語はなんだろうか。社会主義。確かに正しいがこの映画ではちょっと違う。民主主義だ。行き過ぎた資本主義が「自由の国・アメリカ」をいつのまにか「自由競争の国・アメリカ」へ変えた。変わったはいいがそれで儲けたのは極々一部、むしろ労働者の自由は奪われることになったわけだ。
そしてサブイプライム問題、リーマンショックの話に入ると一段の盛り上がりを見せる。銀行への7000億ドルの公的資金注入を巡る政治家たちの攻防。そもそもその公的資金こそが「アガリを決め込んだ金持ちたち」の最後のボーナス。結局国民の税金は銀行の重役たちのボーナスに割り振られるばかり。マイケル・ムーアはこれを税金の横領、つまり "犯罪行為" として各銀行のCEOを市民逮捕しようとするが…
労働者たちよ、己の権利を声高に叫べ
「サブプライムとかリーマンとか聞くけど結局あれは何なの?」という人はぜひ観に行ってみるといいかもしれません。お金がらみの複雑な話ですが日本人の私にもすんなり理解できるくらいわかりやすくまとめられています。やはりドキュメンタリーでも退屈じゃないのはマイケル・ムーアの笑いのセンスによるところが大きい。節々に挿入される音楽やイメージ映像(劇場では「ジーザス」吹き替えネタで笑ってる人が多かったなぁ)も愉快だ。でも演出は演出、それに左右されすぎないように、ということも忘れちゃいけないけども。
ぜひ「東のエデン」を見ている人にはセットで観てもらいたい映画です。貧富の拡大というものはどこから来たのか、どこへ向かうのか。東のエデンではなぜ日本にミサイルを落とそうとしたのか。「富の再配分」は東のエデンとキャピタリズム双方に通じるキーワードでもある。
そして映画の最後には希望も提示される。世界のシティバンクの中の人も恐れる事実、それは国民一人ひとりが投票権を持っているということ。お金持ちだろうとなんだろうと票の重さは平等だ。持てる者がその義務を果たさないのならば、持たざる者はそれを要求するまで。労働者の声は無力じゃない、むしろ集まればこれほど強いものはない。そう誰もが "小さなミサイル" を打ち込むことができるのだ。