そのとき イチローは僕らの想像力を超えた。
「お前は想像力が足らない」
場違いな行動をして周りに迷惑をかけてしまった生徒に対して、教師が叱るときによく使う言葉です。この言葉を聞くたびに、なんかもやもやとした気分になる。想像力が足りないって言われてもさ、そんなすぐにぱっと足りるようになるもんじゃないでしょう。測れるものでもないし。本来想像力とは人生を豊かにするすてきな力なはず。それがなんだか叱る際に都合がいい言葉として使われているような気がして。多分先生方は「空気を読む力」として想像力という言葉を使っているんでしょうね。結局、先生に言われようが言われまいが、人は空気を読む力を生きていく知恵として身につけていきます。これは行ける、これは行けない、ここまではOK、これ以上はダメ、この流れだとこうだから先にそうしておこう…空気を読み、先を推測し、問題を未然に防ぐ。避けられない場合でも被害を最小限に食い止める。これは確かに賢い。だからダメなときも先に諦めておく。ダメな流れなときはダメなんだ、しょうがない、うまくいかないんだから。と。
2009年WBC決勝、日本対韓国。9回に韓国が日本に追いつき同点で、10回表。間違いなく勢いは韓国にある。今の勢いに流されてはいけない。日本チームも必死で食らいつき、1アウト12塁のチャンス…のはずがまさかのフライで2アウトに。このチャンスを逃したら流れに負ける。今しかない。そこでバッターボックスに立つのは、イチロー。そのとき小さなため息が日本中から溢れた気がした。あの天才イチローが、今年のWBCでは振るわず、打てない。プレッシャーのせいなのか、単に調子が悪いだけなのか…。
「これはダメな空気だ」そう日本中が思っているのを想像しながら、私もワンセグでイチローを凝視していた。見ているのが怖い、でも目線が逸らせられない。私がもしイチローの立場だったら、冗談抜きで逃げ出してしまうだろう。だって考えてもみなよ、もし打てなかったら日本中からおこられるわけでしょう。日本中からだよ。耐えられないよそんなの。日本中から怒られるイチロー。怖い。想像したくない。そうこうしているうちに、2ストライク3ボール。どんだけ粘ってんだよイチロー。もうやめようよ苦しいよ。なんでこんなにがんばってるのに辛いんだよ。打ってほしいという気持ちはみんな一緒だ。でもそんなうまくいかないことくらい、自分が培ってきた想像力が教えてくれる。そこに流れる空気がそう言ってる。「常識的に考えて」ってやつだ。そういうものなんだよ結局。現実を受け止める準備だけしておこう。そう思っていたとき。

イチローのバットが球を捉えた。ボールは誰もいない空間に吸い込まれて、ワンバウンド。この2ベースヒットが日本の決勝打。この1打で日本中が「読んでいた空気」は、一瞬にして書き換えられてしまった。巨大掲示板ではイチローに謝る書き込みが相次ぐ。次々に告白される「正直言って信じていなかった。ごめん」という言葉。私たちの想像力(空気を読む力)は、あり得ないことを追い出し、あり得ることを「常識」として囲い込むことで成り立っている。長い時間をかけ、あらゆる情報に浸かっているが故にその精度は非常に高い。が、イチローの実力は我々の想像力が囲い込んでいた世界から大きくはみ出ていた。はみ出ていたからこそあれだけの感動が日本を駆け巡った。ただの逆転決勝打ではここまでの感動は起こっていなかったでしょう。
イチローは直後のインタビューでバッターボックスに立っている最中「心の中で今の状況を実況していた」と語っている。日本中が自分に注目していること、そして大きな期待と大きな絶望を抱えながらそれを見守っていること。球場、日本・韓国それぞれのチームを取り巻く微妙な空気。自分を取り囲む状況がすべて見えていた。そこで彼はあくまでポジティブに、自分に問う。「ここでもし自分が打ったらどうなる?どうすればヒットを打てる?ヒットを打てる状態になるまでにするべきことは?」あの試合を見ているどの観客よりも、選手よりも冷静に、未来を想像する力をイチローは持っていた。すべてを見渡すあの想像力は本当に羨ましい能力だとしみじみ思う。私はものを作ることを仕事にしていますが、創作活動も人の想像の範疇をちょっと超えないと面白いと思ってもらうことはできないでしょう。イチローのあの一本に、クリエイティブの原点を見た気がします。
しかし、一度でもイチローの実力を疑った自分を恥じたい。仮にもし会うことがあれば一礼して謝りたい気分です。そのときイチローはこんなことを言うのかも。
「お前は想像力が足らない」