笑おう、そして許そう。赤塚不二夫のように。
2008.09.30 Text最近度々MOTHER3のことを思い出す。もしかすると最近映画化された「20世紀少年」が近いモチーフを表現しているせいかもしれない(こどものようなおとなの「せかいせいふく」の話だからね)。MOTHER3には印象的なシーンがたくさん登場するけれど、どうしてもあの、衝撃的なエンディングが焼き付いて離れない。
全てのキャラクターが登場するエンディング。主人公の少年・リュカと同じ空間に、リュカの肉親を殺めた(原因になった)人物が並んで登場する。なぜ?普通そんなこと許せる?自分の肉親を殺した人間と一緒の場所にいるなんてできる?確かに、その人物はある意味その罪に相応する「罰」(無期懲役、的な。)を受けているのだが、それでもすぐそばにそんな人間を置くことができるだろうか?謎は多いが少なくともMOTHER3の主人公は、その人物を許したということだろう。
赤塚不二夫先生が亡くなって、およそ2ヶ月。
タモリさんの弔辞の中で語られていた赤塚不二夫像は一言で言い表されていた。「これでいいのだ」。全ての存在を肯定し、許す。受け入れる。これらを言葉で言うのは簡単。だけどこれを実際にできる人はそうそういない。許すことは想像以上に難しい。「おやつを勝手に食べた」くらいなら簡単に許せそうだけれど、リュカのように肉親が殺められたとき、許せるのかどうか。これは難しい。もちろん法によって罪は償ってもらう…にしてもその人を許せるかどうかはわからない。
今世の中は「簡単に許してはいけない」方向に進んでいる。少しでもミスがあれば責任問題やら賠償金やら。「きっと消費者が許してくれないだろう」とう理由で、あるネットショップが間違えて10分の1の値段を表記してしまったパソコンを、本当に10分の1の値段で売ってしまうこともあった。
視点を移せば、今や世界はどこでも戦場になりうるようになった。テロとそのテロとの戦いは、どっちがスタートかわからないくらいに泥沼化している。「やられたからやりかえす」。終わらないけんか。どちらかがやめればいいのに、やめられない。
どちらか、というよりどちらもいつかは許さなければ終わることのない憎しみあいなのだ。悪いことをした人に対して罰を与える、けれどもどのみちどこかで許さなければまた憎しみが返ってきてしまう。いずれは許さなければいけない。
…でもそう簡単にはいかないんだよな。人間だもん。許したとたんにこれだよ…なんてことだってあるだろうし。優しさを行使するにも莫大なエネルギーがいる。自分の優しさに逆に心が折れるときもある。こんな文章を書いている自分ですら許すことが怖かったりする。リュカのような立場になったら許せる自信がない。でも許さないと先に進まない。
MOTHER3のエンディングは画期的だ。悪を倒して終わるのではなく、許して終わる。糸井さんは911以降の世界を変えるのはこれしかないと思ったんだろう。私もそう思う(勝手な推測だけど)。でもそれがどれほど難しいことか。そして辛い。苦しい。けれどこれがいつかみんなが目指さないといけない道、現時点での最良のエンディング。
改めて思う。赤塚先生は未来人だ。この「許す」というとてつもなく大変なことをしつづけてきたのだから。きっと楽ではなかった、苦難の道。だからこそ「楽しく」「笑って」じゃなきゃできない。笑いの力が世界を癒す。笑いながら彼の進んだ道を進もう。おとなのようなこどものような、彼こそが21世紀少年。大好きです、今までありがとうございました。











