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拡張現実空間の未来を考える「AR Commons」設立。

2009.07.03 Text

拡張現実空間の未来を考える「AR Commons」設立。

エヴァの話の後で非常に恐縮ですが、今度は電脳コイルのお話、というかAR(拡張現実)のお話です。このブログでも二回ほど、「仮想世界を現実にする『AR』とは?」「電脳コイルのススメ」といった題でARについて書いたことがあります。改めてARについてヒジョーにざっくりと説明しますと、現実の世界の映像にパソコンの画面を上書き表示することで、日々の生活を更に豊かにする技術のことです。先ほどの電脳コイルの場合は電脳メガネ、人によってはドラゴンボールのスカウター(それを通してみることで見た相手の戦闘力がわかってしまう優れものメガネ!!)を想像していただければわかりやすいかと思います。視覚的で直感的な情報認知を可能にする技術、それがARです。

では本題。今回その拡張現実空間の公共圏について考え、創出し、共有するネットワークとして「AR Commons」というものが設立されました。

AR Commons

プレスリリース(PDF)から引用しますと、「AR Commonsは、21世紀社会の情報・テクノロジー環境に適合した、新たな学術研究、生活提案を実現するプラットフォームとして、AR技術を快適に利用するための多次元的空間活用を促進する非営利の任意団体」です。私の解釈だと「ARのことをみんなで考えていこうの会」です。慶応義塾大学を中心に、法人賛助会員としてソフトバンクテレコムさん、大日本印刷さん、頓智ドットさん、ヤフーさん、ゼンリンさんといったヒジョーに豪華な方々で現在構成された団体でございます。ちなみにFICCも会員として参加していたりします(なんだかうちだけ雰囲気が違う感じですが)。

そして早速ですが、AR Commons設立記念キックオフ・シンポジウムが7月10日に開催されます。

キックオフ・シンポジウムのプログラム, July 10,2009 | AR Commons

識者の方々による、ARの展望、課題、それに関する討論も楽しみですが、iPhone初のARカメラアプリである「セカイカメラ」のデモンストレーションも忘れてはいけません。お申し込みはこちらからどうぞ。と同時に当日Twitterやustreamで会場を中継してくださる方も募集中です。興味がある方はぜひご連絡ください。

ちなみにフクオカさんもちょっと映像を流したりごにょごにょお手伝いする予定です。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 - そこに、確かに愛情はあった

2009.07.01 Movie

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 - そこに、確かに愛情はあった

戦うこととは痛みを感じること。少年たちの叫びが胸に突き刺さる。

先日のエントリーに引き続き、現在公開中の「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」にお話を移しましょう。前作「序」では非常に狭い範囲で展開されていた物語が一気に拡張されるのが今回の「破」です。主人公たちが戦う怪物「使徒」も続々登場し、アスカ、マリといった新しいエヴァンゲリオンのパイロットも参戦。「破」というタイトルに相応しく、大迫力の戦闘シーンが次々に描かれます。この「破」では使徒もエヴァもなまめかしい、気味の悪い、とてもこわい存在として描かれていることが多くなりました。特に今作では使徒はさらに奇異な存在になっています。例えばもし仮に敵がロボットだったら銃口からビームが出るんだろうな、とか想像がつくわけですが、この世界では「誰もが初めて見る正体不明の生き物」であり、どんな風に攻撃するしてくるのかは誰もわからない。それ故に観客もハラハラしっぱなし。ですから戦闘シーンも工夫があって見飽きません。「えーそこが伸びるってそんなのアリなん!?」なんて驚きの連続になるわけです。人類と使徒の知恵比べは更に進化します。

そんな何が起こるかわからない恐怖と戦うエヴァンゲリオンの戦闘シーンの大きな特徴は、主人公たちが痛みに耐えながら戦うところでしょう。例えばガンダムだったら仮にガンダムに弾丸が当たってもパイロットは痛みはそう感じないでしょうが、エヴァの場合エヴァ自身とパイロットの感覚がリンクする仕組みになっているため、エヴァが殴られれば同じようにパイロットも痛みを感じてしまう。苦しさのあまり絶叫しながら、それでも彼らは怪物に戦いを挑む。私は映画を見ながら何度も「やめろよ、そんなに辛いならやめてくれよ」と思いました。苦しくて苦しくて、気がつくとポップコーンの容器をぎゅっと抱きしめすぎてベコベコになっていたくらい。もしかしたらこれはアスリートを見ている気分に近いかもしれません。足を引きずりながら、一歩、また一歩とゴールへ近づこうとするランナーのように。痛みに叫び、悲しみに耐え、時に人であることを捨ててまで戦う姿に、打ち震えてしまうのです。

うまくなくても、ケガしても、あなたに食べてほしいから。

序ではシンジ君とミサトの「上司と部下」、シンジ君とレイの「同じ職場で働く仲間」という関係が築かれていく過程を描きました。破は職場よりも外の世界、「人と人との繋がり」がテーマです。

今作の大きな特徴の一つに、「料理を作る」シーンがあります。一人暮らしが長かったシンジ君がミサトや友達に得意の料理を振舞う。前作ではミサトやレイから受け取る側であったシンジ君がついに与える側にまわる、結果的にシンジ君が作る料理は思わぬ反応を引き起こします。レイもアスカもシンジ君のために料理を作ってあげようと思い立つのです。

コミュニケーションが始まる最初のきっかけはいつも「与えること」から始まります。与えることとは別の言い方をすれば自分が損をすること、とも言い換えられます。与えたものが正しく受け取ってもらえなかったらどうしよう、値踏みされたら、無視されたら…。「何故身を切って与えている自分が損をしなければいけないのか。ばからしいじゃないか」今までのシンジ君はそう思うあまりに人を拒絶し、独りで生きる自分の中に安息を見出していました。しかしコミュニケーションをとるということは自分が抱えるであろう痛みも受け止めなければなりません。劇中でレイとアスカの二人がお互いの手に包丁でけがをしたのか、絆創膏が貼られていることに気がつくシーンがあります。人と触れ合うことは自分が傷つくこと。確かにそのその通りです。慣れないうちは思わぬところで傷を負うものです。

そうして傷つくのが怖いから。今までのエヴァンゲリオンでは、自分を守る心の鎧を着たまま、いかにうまくやっていくか、そこまでしか描かれませんでした。それも一つの答えです。でもそれで終わっていいとは私は思いません。自分が傷つかないことが最も大切なことなのでしょうか。大切なのは、立場ですか。体面ですか。プライドですか。「自分の居場所」ですか。いや違うはずです。最も大切なものは、嘘偽りのしようのない自分の気持ち、願望なのではないでしょうか。「自分がこうなりたい」「相手にこうなって欲しい」という願い。それこそが潰してはならない、最も守らなければならないものではないのでしょうか。シンジとその仲間たちは、ぶつかリながらもその気持ちに気がついていきます。手を怪我しても伝えたいこと、かなえたいことが彼らにはある。序で感じたわずかな優しさと愛情は、もっとはっきりとした形で破にも現れます。料理には作ること、与えること、満たされること、食卓を通して人と人がつながること、全てが含まれているのですから。

居場所には代わりがある、でもあなたには代わりはいない。

ある事件をきっかけにシンジ君が死ぬ思いをしながら手に入れた自分の居場所、つまりエヴァのパイロット権限を剥奪されてしまいます。自分の信念を折り、素直に人に従っていれば、こんなことにはならなかったでしょう。でも彼は曲げなかった。パイロットの座を追い出した自身のの父親ゲンドウには「自分のほしい物は力ずくでも手に入れろ。大人になれ」とまで言われます。それでも彼は納得しない。彼は気がついていないけれど、もう彼が求めているのは自分の居場所ではないのです。そしていつの間にかシンジ君はエヴァの前に立っている。でも、彼がエヴァに乗る理由はもう、誰かに褒められるためであったり、認められるためじゃない。目の前で苦しんでいる仲間を助けるために、いやもっとシンプルでストレートな気持ちだ。あなたと一緒にいたい。そう叫びながら彼は自分から、手を差し伸べるのです。ここがシンジ君にとって、生まれて初めての、自分から人の心に触れようとする行為。例え心が閉じられようとしても彼はひるまない。今の居場所を捨てたって構わない、代わりになる自分の居場所はいくらでもある。でもあなたに代わりはないのだから。

自分の願いに純粋であるということは時に、わがままで、粗野。ゲンドウの言う通り、大人の生き方じゃあない。これまでのシンジ君がしてきたのは、如何にして気持ちを潰すことに耐え、大人として生きれるようになるか、ということです。大人として生きることもいい、でも私は絶対に本心を潰してはいけないと思うのです。本心こそが人間の強さであり、人間の生きる核を担うものなのです。You can (not) advance. 副題にもある通り、シンジ君は大人になれなかった。でも、全てを振り切り自分の本心を吐露するシンジ君はかっこ良かった。シンジ君のことをかっこいいと思ったの、はじめてだよ。何感動させてんだよ、バカシンジが。

なんかいろいろ言われるかもしれない。けど好きだ。

正直に言うと、これまでおおっぴらにエヴァンゲリオンのことを言及することをずっと避けていました。自分が心のどこかで嫌っている作品について話すのは気分が良くなかったし、やっぱりこの物語を許せないところがあったから。いやもっと言えば自分が「オタク的」に見られるのが怖かったし(いや、どうかんがえても十分オタクなんですけど、それでもね。変なプライドですよ)、このアニメのこと語るのを恥ずかしいと思ってたから。でもね、恥ずかしげもなくはっきり言いますが、私この映画のこと好き。なんだかもうね恋に近いよ。考えたらずっと意地悪されてたのに急に優しくされたから、そのバイアスがかかってるのかもしれません(言い方は悪いですがDV被害にのめり込んでいってしまう人のような…)。だから、この文章を書き始めてからおよそ1週間、ずっとこの気持ちは本当なのか、探っていました。でもやっぱり本当な気がする。上映が終わったあのとき、好きだと感じた気持ちに嘘偽りはないもの。

だから改めて。この映画のこと好きです。自信を持ってお薦めします。いろんな人に見てもらいたい気持ちだから、このエントリーを書きました。読んだ人になんと言われるかはわかりません。自分の思った通りに正しく伝わっているかも不安です。でも自分のただ正直な、一番伝えたい気持ちを記しました。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 - それは14歳の少年が働く物語

2009.06.27 Movie

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11年前からのエヴァへの愛憎、そして氷解

今から11年前、私が中学2年生の時に初めてエヴァンゲリオンを観ました。その時私はちょうど14歳、このお話の主人公である碇シンジ君と同い年。まさに「エヴァブーム真っただ中の世代」と言えるでしょう。当時の私はこの作品の表現に衝撃を受けたと共に、一方ではエヴァのセクシャルな部分が受け入れられず正直嫌っていた部分もありました(ま純情な中学生ですからそういうものだと思ってください)。私にとって「スキ」と「キライ」がないまぜになったもの、それ故に常に気になる存在、それがエヴァンゲリオンでした。

2年前、これまでのエヴァンゲリオンをリメイク、再構築した映画、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」が公開されました。新しくリメイクされた映画「序」を観て、この作品の面白さに改めて気がつきました。新しい映画は当時のエヴァンゲリオン以上に、確実によい作品になっています。そして今日から一連の連作の続き、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」が公開されます。それに合わせて「序」を改めて振り返りながら、エヴァンゲリオンとはどんなお話なのか、改めて考えようというのが今回のエントリーの趣旨です。「序」を見ながら当時の映像との違いにも驚きましたが、それと同時に14歳当時から自分自身が大きく変化したことにも気がつきました。その中でも最大の変化、それは「自分が仕事に就いたこと」でした。

もし14歳当時のあなたが今の職場で働いたら

この作品は事細かな設定や人間関係が膨大な量含まれているため、一体どんな物語なのか、よくわからない人も思いますので導入部分の説明をば。


主人公・碇シンジは、離れて住んでいた父、ゲンドウから突然呼び出される。父の愛を受けずに育ったシンジは父のことが、苦手だったが、それでも自分のことを必要としてくれているならばと思い単身"上京"する。

時を同じくして、日本に"使徒"と呼ばれる巨大な怪物が現れる。抗戦する自衛隊。しかし全く歯が立たない。使徒は確実に東京※1に向かっている。

父のもとにたどり着いたシンジ。しかし彼の目の前に現れたのはエヴァンゲリオンと呼ばれる使徒と戦うためのロボット※2であった。ゲンドウは使徒と戦うための組織NERV(ネルフ)の最高責任者だった。エヴァ
ンゲリオンは14歳の選ばれた少年・少女でしか操縦することのできない特殊な兵器。ゲンドウは実の息子をこの兵器に乗せ、戦わせるためにシンジ呼び出したのだ。予期しない要求に父への怒りが隠せないシンジは
エヴァンゲリオンに乗ることを拒絶する。あんな怪物と戦ったら死んでしまうかもしれないのに…。お前が乗る気がないのならば、とゲンドウは代わりのパイロットとして傷だらけの少女を呼び出す。使徒と戦わなければ人類が滅ぶ。「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ…」全身を貫く痛みに顔を歪める少女を前にシンジは決心して叫ぶ。

「やります。僕が乗ります」


エヴァンゲリオンは多くの謎と陰謀が渦巻く実に複雑な物語ですが、シンジ君の視点から見ると非常にクリアーなものです。つまり「14歳の少年が大人たちの中で働く物語」。彼がしていることは中学生として生活しながら、しかも命をかけて怪物と戦う、負ければ人類が滅んでしまうという重い仕事です。父親に認められたい、そう願う一心から彼はパイロットとしての仕事を果たしていきます。が、時に彼は職場での人間関係や自分にのしかかる責任の重さに耐えられず逃げ出してしまうこともあります。自分の状況に対して卑屈になり、閉じてしまう。上司に歯向かう。かんしゃくを起こす。それを見て「うはwwwこいつどんだけヘタレなのwww」と彼を笑う人もいるでしょう。

しかし私はそうは思いません。例えばもし14歳の自分が、14歳のあなたが、今の職場で働くことになったら…今の自分とと同じように働けるでしょうか。14歳、まだまだ大人とは言えない、でも大人が少しずつ見えてくる時期。しかしまだまだ多くの経験が不足しています。人との接し方、仕事の運び方、自分の目標、…。この状態で満足に仕事をこなすことは難しいかもしれません。いや、年齢に関係なく時に仕事が辛く、逃げ出したくなる気持ちになることは誰しもがあることではないでしょうか。入社してすぐに辞めてしまう社員が増えた、なんてニュースを度々目にします。そう言う私だって辛いこともあります。時に卑屈な気持ちになることだってあります。シンジ君はこれまで一人で自分の心を守り、生きてきた人間です。そんな彼でも働くことで自分では守れ切れないくらい辛い思いを抱えていきます。怒られるかもしれない。否定されるかもしれない。死ぬかもしれない。それでも、彼は再び立ち上がるのです。みんなが思う以上に彼は強い。

働くこと、それはその場所で自分の居場所を見つけることとも言えます。ご飯を食べていくためだけに仕事をしているとしても、なぜその組織の中で働き続けているかという理由にはなりません。別の場所で働いても何ら問題はないはずです。よって自然と自分がこの組織で働く意味や価値を見いだしていくことになるでしょう。シンジ君の場合も、文字通り「死ぬほど辛い思い」をしてまで手にしたいものは自分の居場所でした。自分を信じてくれる人がいる、これ以上の居場所はありません。彼が再起する理由も「逃げちゃダメだ」という自分を脅迫的に動かす気持ちから、やがて一緒に働く仲間や上司のために仕事を完遂しようとする気持ちに変わっていきます。人類の存亡のためとか、そんな大それたことは実感がわかない。でも自分を必要としてくれる人、つまり上司(ミサト)や同僚(レイ)のためにエヴァンゲリオンに乗る。これが自分の居場所を作るために彼の見つけた「仕事」でした。

自分も働くようになってから、シンジ君の見つけようとしていた道に自分も足を踏み入れていたことに気がつきました。私は仕事がそんなにできない人間ですが、それでも自分を信じてくれる人のために力を使えていることに深く感謝しています。自分の居場所がある、こんなに嬉しいことはありません。やっとその価値がわかったからこそ、エヴァンゲリオンの物語はいとおしく感じるのかもしれません。働くことが「うまくなかった」少年が、自分に課せられた責任を果たしながら、組織の中で働く意味を見つけていく、それが「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」の、シンジ君の物語です。

今回の映画には愛がある気がする

リメイクされる前の、今までのエヴァンゲリオンで私が最も嫌だったこと、それは「愛がなかったこと」です。いや、愛って言われてもって感じですし、そもそも愛って何さって話になりますが、何となくなかった気がするんです。このお話には多くの人が登場しますが、誰かの愛を誰かが受け止めることはほとんどなかったように感じています。投げても投げても、すかっ、すかっと、空を切るような。だからこその人と人との心の壁、コミュニケーションのすれ違いをテーマにしたストーリーができたとも言えますから大きく否定することはできませんが、それでもどこか虚しい。言いたいことはわかります、でも正直過ぎてあまりにも苦しいのです。どこにも希望がない物語を子どもたちに見せるのは私はあまりいいことだとは思わないのです。

「序」は過去のテレビシリーズの内容ほぼそのままの物語が展開されています。でも、何かが違う。シンジ君の上司であり、同居人でもあるミサトとシンジ君の言動の中にそれを少し感じます。空中キャンプの方も書かれていますが、エヴァに乗る決心がつかないシンジ君をミサトが「自分たちが命をかけて守っているもの」の場所まで案内するシーンで、シンジ君とミサトが手をつなぐシーンがあります。ミサトが一方的に手をつかんで引っ張るのではなく、二人の手のひらが合わさり、お互いがしっかりと握り合った「手つなぎ」です。おそらく、今までのエヴァの映像の中で唯一、愛が受け取られた瞬間だったのではないでしょうか。愛と言っても色恋のそういったものではなく、愛情というか、博愛というか、思いやりというか…そう言った類いの愛。そういったものがこれからの続編にも表現されていくのであれば、私が「嫌いにならない」エヴァンゲリオンになるのかもしれません。


ちなみに「序」は7月3日の日テレ・金曜ロードショーで放送されます。興味がある方はぜひ。「おとなもこどももおねーさんも楽しんでみれるいいアニメしか紹介しないぜ!!」がポリシーの当ブログでは過去のテレビシリーズ・劇場版はお薦めすることはできません。でもこの「序」は間違いなく、自身を持ってお薦めできるものだと思います。


※1 わかってます。第三新東京市です。
※2 わかってます。汎用人形決戦兵器・人造人間です。
プロの厳しい突っ込みはコメント欄にお願いします!!

Adobeさんのインタビューを受けさせていただきました

2009.06.26 Web

Adobe ケーススタディー : FICCが感じるAdobe CS4の良さ

AdobeさんのCreativeSuite4に関するインタビューを僭越ながら受けさせていただきました。CS4のすばらしさに関しましては私よりも他の方の方が詳しいと思いますので、なかなか参考になるかどうかはわからないのですが、FICCでどんな感じで仕事してるかって言うのが少しは伝わるのではないかなーと思います。

しかしまあ満面の笑みで写ってる自分の写真に吹きましたよ。私も25年生きてきたけどここまで自分が笑ってる写真って見たことなかったわー。まさに「そっか。私、笑えるんだ」状態。自分で見てて 気持ち悪い を通り越して感心してしまいましたよ。

と、いうことで明日はあれの話を。今まで日記にもmixiにもブログにも一度も書いてこなかった、避けていたあの映画の話を。

E-P1とK-7、目指す理想のカメラ像が違うと結果もこんなに違う。

2009.06.17 Gadget

もし仮に私が無職になって「あれ、フクオカさんって確か無職ですよね?」と聞かれたとしても「いいえ僕はエヴァンジェリストですから(キリッ」と答えたいフクオカですどうぞよろしく。「Apple=ブランド=宗教」のお話はまだまだできそうですが、今日はカメラのお話です。相変わらず趣味性の強い話が続きますが今日も元気にいきたいと思います。

使っていて恥ずかしくない、煩わしくない、小さい一眼。OLYMPUS PEN E-P1

OLYMPUS PEN E-P1

E-P1|デジタル一眼カメラ|オリンパスイメージング

デジカメはずいぶん前から普遍的なアイテムになりましたが、最近ではデジタル一眼レフもごくごく当たり前のものになりました。デジタル一眼レフのいいところは、速く、きれいに撮影できること、そしてレンズや周辺機器を付け替えることで自由に撮影ができることです。もちろんいいところばかりではありません。大きい、重い、かさばる、見た目がごつい…特に一眼レフを使ってると「本気で撮ってる感じ」が出ちゃって、なんか気恥ずかしい時ってありますよね。物理的・心理的な意味で一眼レフは「気軽」とは言えない存在のような気がします。よくレストランでブログにアップするためか、ケータイやコンパクトデジカメで食事を撮影している人を見かけますが、一眼レフで撮っている人はなかなか見かけませんもんね。すごい便利、だけど気が重い、デジタル一眼レフにそういう感情を持っている人は多いんじゃないでしょうか。

「PEN E-P1」のポイントは2つ。「とにかく小さい」「重く見えない」の2点です。コンパクトカメラには及ばないものの、従来の一眼に比べてグッと小さくてフラットなボディ。小さなレンズをつければ、なるほど「ポケットに入る一眼」というのもあながち嘘じゃない気がしてきます(ポケットに入るノートパソコンがあるくらいですから…)。そして小さくなった分デザインに自由度がでました。オリンパスが1963年に発売した「PEN F」というクラシックなカメラをイメージしたデザイン。私個人としてはせっかく新しいカメラなんだからノスタルジーにあまり捕われすぎない方がいいのでは…と思っているのですが、若い人の中でもクラシックなカメラは「かわいい」「かっこいい」と評価が高いことが多いですから、一眼デジタルっぽくないカメラを目指したこのカメラにはぴったりのテーマだったのかもしれません。一眼と言えば黒色のボディがほとんどですが、あえて銀と白にしたのも周囲に威圧感を与えないためのように感じます。このカメラを女の子が使っている場面を想像しても違和感ないですよね。

PEN E-P1は「気軽に写真を撮れるような一眼」を目指した結果、ファインダーもない、ストロボもない、極めてシンプルなカメラになりました。ある人は性能よりもサイズや見た目を優先した、気骨のないカメラだと言うかもしれません。それでも写真を撮る際の「障壁」がなくなるのであれば価値があることだと思います。大きさが、スタイリングが、その道具の扱い方をも変えてしまう。E-P1は「撮影者の気負い」と戦うために最新のテクノロジーを用いた、全く新しいコンセプトのカメラと言えるでしょう。

大切なのは一度きりのチャンスで後悔しない撮影ができること。PENTAX K-7

PENTAX K-7

K-7|デジタル一眼レフカメラ|PENTAX

一方、PENTAXが満を持して送り出す「初級機のボディサイズに中級機、ないしそれ以上の機能を盛り込んだカメラ」、それがK-7。カメラのランクとしては中級機に属しているため、初〜中級機(?)にあたるE-P1と一概に比較できるものではない、が、E-P1が一部の機能を犠牲にしても、撮影者の敷居を下げること、一眼のカジュアル化に注力したのに対して、K-7は小さなカメラの中にどこまでカメラの機能を詰め込めるかに懸けている。K-7は開発者の人が「少なくとも世の中のトレンドになっている要素は、すべて入れておきたい。ペンタックスを選んだユーザーが、何か特定の機能がないからと卑屈にならないように」と言う通りとんでもなく盛りだくさんなカメラになっていて、その全てをここに書くのは難しいんですが、もっとも特徴的なことは「ファインダー視野率100%」であること。つまり「ファインダーで見たままの光景がそのまま写真に撮れる」んです。いや、それカメラなんだから当然じゃん、と思うかもしれませんが意外とこれすごいことなんです。多くの一眼レフカメラの視野率はおよそ95%。実は撮影される画像の四辺がおよそ5%、ファインダーでは見えていないんです(実際にカメラで撮影してよく見てみるとわかると思います)。たかが5%。されど5%。一眼レフを使う人はフレーミングにこだわる人が多いでしょうが、その見えない5%の領域に邪魔なものが写っててショック、ということもよく起こります。K-7を一言で表すとすれば「小さなストレスをできるだけなくしたカメラ」です。電子水準器(カメラがまっすぐになってるかチェックしてくれる)機能や、もし仮に傾いていたら強制的に傾きを直してくれる機能、防塵防滴機構でちょっとの雨や埃も気にしないで撮影できる、モードダイヤルのロック、シンプルで素早く変更可能な操作系、更には限りなく小さく抑えられたシャッター音まで…撮影中に起こる小さなイライラやストレスを小さくする施策が至る所に見受けられます。人生一度きり、撮影する瞬間も常に一度きりです。その貴重な時間を無駄にしないこと。そして見たままの景色が撮影できること。PENTAXの人たちが理想とするカメラの形がK-7からありありと伝わってくるのです。

テクノロジーが生んだ2つの小型化・2つの未来

ここでE-P1の方がいいカメラだ、いやいやK-7の方がいいカメラだ、なんて言うのはナンセンスです。両者の目標は明らかに異なっています。私個人的には一眼は覗いて使う、という気持ちが強いためK-7を選びますが、E-P1の小型化・高性能化が更に進めば、あのサイズにしてファインダーを内蔵することもできるでしょう。E-P1から派生してもっと新しい形の、未来の一眼が登場することを期待しています。これだけ目指すところがはっきりしているカメラですから、それがユーザーの欲しているカメラ像とマッチすればヒット商品になることは間違いないでしょう。現にK-7は予約で一杯、E-P1も近年のオリンパスのカメラの中でも稀に見る大きさの反響が巻き起こっています。消費者の思い描く理想と、メーカーの提示する理想が一致したときにようやくヒットする、当たり前のことのようですが2つのカメラ共に改めてそれを実感させる製品でありました。

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  • AKIRAFUKUOKA(福岡 陽)
  • FICC inc.所属。Flashコンテンツ開発担当、でもデザインや企画まで手がけることも。
  • WebデザインブックマークサイトAnotherBookmarkの制作も担当。
  • 現在月刊誌web creatorsにて世界のWebデザインを紹介するコーナー「ワールドワイドWEBサイトギャラリー」連載中。
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